陽炎の背を追う //短編-鉢尾 落乱小説 万年時計のまわる音

■読む前に注意点■
・転生現パロが含まれています
・暗めのお話です

それでも大丈夫だよ!って方はどうぞ↓↓


カップルだらけのお洒落なカフェで、俺はひとりぼんやりとしていた。
視界に映るのは、向かいの席に残された飲みかけのアイスコーヒー。水滴を纏ったグラスの中で、美味しくなさそうなグラデーションが出来つつあるのが分かる。
輪郭を無くして行く氷がカランと音を立てた。物悲しいその音が、まるでこんな末路にさせた俺を責めるみたいだった。

陽炎の背を追う

数百年前からずっと、消えない想いがある。

両親曰く、俺は全然泣かないこどもだったそうだ。
転んだり迷子になったりしても、辛そうな顔をするだけ。涙を見たのは赤ん坊の頃だけだったと、冗談混じりに言うのだ。
そんな俺が泣いた最後の記憶は、幼稚園の年長の歳に編入した日のこと。
保育士の先生からあらましを聴いた両親は、持ちネタのように今でも時々話題にする。話の流れで理由を聞かれる度、俺はなにも覚えていないと答えていた。

でも本当は、俺はあの時のことを覚えている。とは言ってももうかなり朧げで、思い込みによる作り話かもしれないとすら思えるほどだ。
それでも忘れられない、忘れたくないとなぜか思ってしまう。後ろ髪を引かれるように、薄暗い心残りが長い陰を落としているのだ。

それは俺が魂に刻み付けるほどに執着した大事な記憶を、愛した存在を、思い出した瞬間だったからだろう。

その日、俺はその幼稚園に初めてやって来ていた。恐らく当時の俺は既に、新たな環境に入るのにも抵抗を感じなくなっていたと思う。
先生の指示に従い、素直に靴を脱いだ。そして室内に踏み入ろうと顔を上げた瞬間、その部屋の中にいた同じ年頃の一人の子どもとぱちっと目があった。
途端、頭の中に映画のワンシーンのような断片的な映像と様々な感情が、うねりを伴って次々と流れ込んできた。情報の津波に呑み込まれ、呆然とする俺の目からは勝手に涙が溢れ出た。

歪む視界の中で、相手もまた俺と同じように泣いているのが、何故かはっきりと分かった。何かに突き動かされるようにがむしゃらに腕を伸ばすと、相手もまた腕を伸ばして縋り付いてきた。
そいつをかたく抱きしめて、俺は間違いなく相手が存在していること、その温かさにただひたすらに泣いた。先生が何事かと駆けつけてきても構わず、ただふたり泣き続けていた。

流れ込んできた情報の中で幼かった俺にも理解できたことは、俺がまだ俺になる前、俺はこいつとずっと共にありたかったのだ、ということだけだった。
幼過ぎたが故になにも分からなかったが、幼かったからこそ何の疑問もなく俺たちはその邂逅を受け容れていたのだ、とも思う。

あの時代とは違い、ここ日の本は平和な国になった。共にいたい人の隣に居ることが当たり前のように許される。
だから俺は今度こそ、これからずっと、死ぬまであいつと一緒に居るのだろうと思っていた。それはあいつも同じだったろう、そうであって欲しい。

だが現実は、そんな数百年越しのささやかな願いですら叶えてはくれなかった。
再会して一年も経たない内に、俺は父の仕事の都合で海外に移住することになった。俺たちはまだこどもで、二人で居るための手段を持てるわけもなく。ただ、繋いでいた手を離すしかなかった。
地球規模の距離と己の幼さは、電話や手紙などの手段でさえ繋がっていくことを難しくさせた。別れて五年が経つ頃には、縁は完全に途切れてしまった。

魂に刻まれていたのだろう悲しくも愛おしい記憶たちも、歳を重ねるにつれて確実に朧になっていった。ようやく理解できるようになったと思ったのに、端から霞のように消えていくのだ。まるで夢から覚めるかのように。
しかし、思い出せなくなっていくことが悲しくて寂しくて己が身を抱いて震えていたのも、今じゃもうずっと過去の話だ。
だからもう大丈夫なんだと、そう思っていたのに。

「勘右衛門は私の向こう側に誰を見てるの?」

互いにいい年齢になったことだしと、付き合って四年目の彼女に「そろそろ結婚でもする?」と尋ねた。
すると彼女は、急に笑顔を引っ込めるやそう尋ね返してきた。
ずっと聞こうと思ってたんだけど、といい添える彼女のアイスブルーの瞳が、射抜くような強い意志で真っ直ぐに俺の目を見ていた。

「貴方自身分かってなさそうだったし、貴方と居るのは楽しかったから許してたけど。私は私以外の誰かを心に棲まわせてるような男と、一緒になる気はないの」

コーヒー代、払っといて。
彼女はそれだけ告げて、柔らかなブロンドを揺らして去っていった。

一人取り残された俺は呆然としながら、咄嗟に飲み込めなかった彼女の言を反芻した。

俺の心の中に棲んでいる誰か。

そんなものが居るとしたら、どう考えてもひとりしか思いつかない。
しかしたったひとりの心当たりがすぐさま浮かんでしまった俺に、彼女を引き止める権利などありはしなかった。

俺は未だに、無意識に、あいつの背中を追いかけているというのか。
現代と過去のどちらの顔ももう思い出せやしない、幼いままのあいつの背中を。

唐突に訪れた別れと思ってもいなかった自分自身の実情に愕然とした。しかし、カップルだらけのこの場所でいつまでも一人でいるのはどうにも居心地が悪い。俺は薄くなった自分の分のアイスコーヒーを煽ってから席を立った。

外に出ると、冷房が効いた店内とは真逆の灼熱の空気に包まれた。真夏の太陽に炙られて顔をしかめる。暑さのあまりに少し先の景色がゆらゆらと歪んで見えた。
予定がなくなって行く当てもない。さっさと帰ろうと足を踏み出した、その時だった。
視界の端を黒くふんわりとした髷が横切っていった。瑠璃の袖が見えた気がして、俺は勢いよく身を翻す。
が、何のことはない、ポニーテールを揺らして去っていく観光客らしきアジア系の女性の、黄色いタンクトップの背中がそこにあった。

往来のど真ん中で呆然と立ち尽くす。
そうだ、ここは日本から、あの時代から遠く離れている。ポニーテールを髷と見間違えるなんて馬鹿でもしない。まるで俺だけが遠い記憶の中に取り残されてしまっているみたいじゃないか。
脳裏を彼女のアイスブルーの瞳が過ぎる。「誰を見てるの?」リフレインする問い。

不意に、どん、と強い衝撃を受けて大きくよろめいた。恰幅のいい男が邪魔だ、と怒鳴って通り過ぎていく。
何とか持ちこたえ転ばずに済んだ俺は、自分の足元にある昏い影を見下ろしてバカだなとひとりごちた。きっとこの暑さのせいで幻を見たのだろう、そうに違いない。

また白昼夢を見てしまわないよう己の影に視線を落としたまま、俺はねぐらに向かってとぼとぼと歩き出した。


[2019/06/30]

転生パロ、幸せでも甘くもない話。
twitterでもよく言ってるんですが、いわゆる『なれそめ』の話が大好物なので、いつも鉢尾のいろんな出会いと経緯に想いを巡らせてます。
特に好きなのは『無意識の意識を認識した』段階からくっつくまで、と言う部分なのですが、それ以外にもいろいろなパターンがある訳ですよね。中にはもちろん、あまり幸せでない世界線もあるよね…と思います。苦しい時間も。そんな一つの可能性のお話です。
あやふやな記憶に、ほんのり囚われている勘右衛門。一般的に前世の記憶がある、という話は確かにあるようですが、大体幼い頃だけで忘れてしまうとかあやふやなものが多いですよね。当然とはいえ。それでも、輪廻転生を超えるほど強く強く願った願いを、完全に忘れてしまうことはできないのではないのかな、と。
無意識に囚われてしまっている勘右衛門がじんわりと可哀想なのが萌えるなと…。葛藤、苦しみ、悲しみ。どうにもならない強い感情に揺さぶられ振り回される、特別を感じている瞬間、というのが死ぬほど好物なので…(下種い顔
考えてしまっている時点で囚われているのに、気づけていない勘右衛門もまた可哀想可愛い。でもハピエン厨でもあるので、最後の最後には幸せになって欲しい!と思ってはいます。勿論!!!
なので、ふわ~っと妄想してはいるこの後の話が、いつか書けたらいいなあと思います。……いつか…。
何だか薄暗い話な上に、まさに「や・お・い」なお話でがっかりさせてしまっていたらすみません。結構迷っていて、だいぶコネコネしていたのですが…書きたかったので書いたし出しました…!ヤッタネ!!!!
言い訳満載の蛇足までお読みいただきありがとうございました!

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