ある寒い午後、医務室にて //落乱小説 万年時計のまわる音

CPなし・左近目線のお話です。

■登場キャラ■

川西左近   二年い組 保健委員
田村三木ヱ門 四年ろ組 会計委員
上ノ島一平  一年い組 生物委員
福富しんべヱ 一年は組 用具委員


静かな室内に、ぱちりと炭火の爆ぜる音が小さく響いた。
左近は作業を一時中断し、傍らの火鉢を覗き込む。中央に積まれた炭はわずかに燃え崩れているが、火力の衰えもなく赤々と燃えている。
一旦流行は落ち着いたようだが、この寒さではいつまた風邪っぴきがやって来てもおかしくない。室内は暖かく保っておかなくては。
そう思った左近は火箸を手に取ると、どてらの袖に気をつけつつ、安定してよく燃えるよう炭を組み直した。

現在、医務室には左近以外誰もいない。本来なら数馬先輩もいるはずなのだが、先ほど綾部先輩に呼ばれて行き席を外している。
すぐに戻ると仰ってはいたが、わずかな時間でも一人で番をするのは緊張する。誰がどんな症状でやって来るか分からない中、対応するのは左近ただ一人。責任重大だ。

などと大袈裟なことを言ったが、実際のところそんなに気負う必要はない。
保健委員の大半は下級生でまだできないことが多い。だがここは医務室だ。『対応できない』で済ませていいことなどない。
故に当然ながら、対処できない患者が来た場合は速やかに新野先生か伊作先輩を呼ぶ決まりになっている。個人の対処範囲も事前に指示されているため、当番を務めるに際して左近たちが大きすぎる責任を背負うことはないのだ。

ただ、今日は少し事情が異なる。
ここ数日、厳しい冷え込みのせいか下級生を中心に体調を崩す者が続出した。その診察で新野先生は長屋中を飛び回ることとなり、先ほどお会いした際には、連日薬の調合をしていた伊作先輩共々かなりお疲れであるように見受けられた。
だから今日はなるべくお二人の手を煩わせないよう頑張ろうと、先ほど落ち合った際に数馬先輩と話し合ったのである。
そういう経緯で左近は今、一人であることとその責任を普段より強く意識していた。

炭の配置を直した左近は火箸を置いて定位置に戻った。今一度腰を据えて、目の前で山を為している清潔な包帯を手に取る。
本日の当番中に終わらせるべき作業は洗濯済み包帯の巻き取りだ。包帯巻き器を使ってもいいのだが、左近はなるべく自分の手のみで巻き取るようにしている。多少時間は掛かるが、伊作先輩のように包帯を上手く扱えるようになるため日々努力しているのだ。

「失礼します」

だが作業を再開するより早く、入室の合図と共にスラリと入口の戸が開いた。
本日最初の来訪者は、四年生の田村三木ヱ門先輩だった。

田村先輩は学園のアイドルを自称しているが、石火矢などの過激な武器を得意としている先輩だ。手に負えないような怪我などでないといいのだが……。左近はやや不安になりながらも先輩を観察する。
見た限りでは顔色も普段どおりで健康そうだ。だが上級生にもなれば不調を悟られぬよう振る舞うのは朝飯前らしいので、油断はできない。
そんな左近をよそに、田村先輩は入口に立ったまま室内をぐるりと見渡した。その最後に左近に視線を移して口を開く。

「三反田はいないのか? 今日、当番だろう?」

左近は瞬いた。特別接点もなさそうな数馬先輩の当番の日を、田村先輩がご存じだなんて驚きだ。
意外に思いながらも、左近は事情を説明すべく口を開く。

「今いないんです。ついさっき、作法委員会に呼ばれて」
「そうなのか、タイミングが悪かったな。ならまた後で来る」
「えっ」

話を聞くが早いか即刻踵を返そうとした先輩に、左近は焦って思わず声をあげた。
焦ったのは、左近に保健委員としての責任感があったからだ。
怪我にしろ病にしろ処置の早さは予後を左右する。そして今医務室にいるのは左近だけなのだ。
左近ではその場で最適な治療を提供できずとも、状態を確認し先輩や先生による処置により早く繋ぐことはできる。
治療に最善を尽くすのは保健委員の使命だ。

しかし左近は同時に、淡い反発心を覚えてもいた。
田村先輩が出直そうと言うのは左近では力不足だと思ったからだろう。それが左近の保健委員としての自尊心を傷つけていた。
左近とてある程度の処置は心得ているし、引き合いに出された数馬先輩もまだ三年生。その差はたったの一年だ。田村先輩から見れば二年の開きとなり、大きな差であるように感じられるのかもしれないが――正直言って納得いかない。

「――あの! 僕ではご不安かもしれませんけど、まずは診せて貰えませんか? これでも保健委員なので」

思い切って声をかけると、田村先輩は戸に手をかけたところで振り返った。少々驚いたような顔で見つめてくる先輩に、左近は身を縮こまらせる。

やや棘のある言い方になってしまったし、生意気だと怒られるだろうか……。
だが医務室を預かっている身としては、患者をそのまま返すわけにはいかない。

次々と押し寄せる不安に負けぬよう眉間に力を込め、先輩の目をただじっと見つめ返す。
すると先輩はすまなそうに眉を下げつつ、戸から手を放して身体ごとこちらに向き直った。

「あー、違う違う! 説明もしないで悪かったな。川西がどうこうってことはないんだ。私はこれを返しに来ただけだから」

謝罪した先輩が懐から取り出したのは、薄汚れくたびれた一冊の帳面だった。

「それは?」
「三反田の帳面だよ」

田村先輩はぱらぱらとページを繰りながら説明を続ける。

「実は先日、カノコとの鍛錬中にミスをして三反田の世話になってな。その時、無理言って借りたんだ」

先輩は「この辺だな」と言いつつあるページを見せてくる。そこには火傷や火器・火薬による外傷の処置が記されているようだ。そういえば委員会活動中、数馬先輩はよく帳面を手にしていた気がする。

「思ったとおり、よくまとまってて勉強になった。長いこと手元にないと困るだろうし、悪いがこれ三反田に返しておいてくれるか? 礼は別でするから」
「分かりました、お預かりします」

差し出された帳面を素直に受け取ると、先輩が再び眉を下げる。

「伊作先輩以外が皆下級生だなんて、と思ってたが……杞憂だったな。頼りにしてるぞ保健委員!――不運はほどほどにして欲しいが」

田村先輩は苦笑交じりにそう言うなり、左近の頭をぐしゃぐしゃと軽く掻き回して今度こそ医務室を出ていった。

唐突な先輩の行動に暫しぽかんと呆けていた左近は、我に返るとまず乱れた髪と頭巾を直した。身なりを正して一息ついたところで、ふと今し方受け取った帳面に目が留まる。

改めて手に取ってみると、かなり使い込まれているのだろう。帳面はあちこちボロボロでひどく傷んでいる。ページを繰れば、先ほど見たところ以外にも左近の知らない知識や処置法が所狭しと綴られていた。
その情報量に、左近は圧倒された。

たった一年で、こんなにも差がつくものだろうか。二年生である左近の仕事内容や知識なんて、一年生の二人と大して変わらないように思う。だが一つ年嵩の影の薄さを気にしている先輩は、左近よりもずっと多くを知っていて四年の先輩にも認められているらしい。
左近はすぐ上の先輩に尊敬の念を抱くと同時に、自身の力不足を感じ思わず項垂れた。

「失礼、します……」

帳面を懐にしまい沈んだ気分で包帯巻きをしていると、再び廊下から声がかかった。顔を上げると、浅葱を纏った小柄な忍たまが覇気のない顔で佇んでいる。顔色の悪さに一瞬一年ろ組の生徒かと思ったが、縦線が入っていないので違うようだ。すぐに認識を改めた左近は、その生徒をよくよく観察する。

「えーと、一年い組の上ノ島一平だな? どうしたんだ?」
「……お腹、痛くて……」

導き出した所属と名前を確認して尋ねると、一平は青白い顔を歪めて鳩尾の辺りを押さえた。今度の来室者は正しく患者であるようだ。
左近は一平を招き入れて火鉢の近くに座らせると、まず彼の額に手を宛てがった。熱はない。今流行りの風邪や明らかな病ではなさそうだ。
ならばどうしてやるのがいいか。それを検討するべく、本人からの聞き取りに移行する。

「痛むのは、今抑えてるところか?」
「はい」
「吐き気は?」
「ありません」
「普段は食べないものを口にしたりは?」
「ないです。……むしろ、食べてないので……」

ボソボソと付け加えられた曖昧な返答に左近は瞬いた。先を促すと、一平は俯いたままぽつぽつと話し出す。

「ここ数日、食欲なくて。……明日、手裏剣の試験があるんですけど、試験のことを考えると不安で……。練習はしてますよ、もちろん。でも僕たち、実戦に弱いし……」

また腹が痛んだのか、一平がウッと声を上げて顔をしかめる。ここまで聞けば、原因は明白だった。

「多分ストレスと、食べてないせいだな。長時間何も食べないのも内腑には負担になる。それにエネルギー不足とこの寒さで身体が冷えたんだろう」

推測される原因を端的に説明しながら一平の肩に布団を掛けると、火鉢で暖を取りながら待つよう指示をする。それから左近は薬を煎じる準備を始めた。弱った内腑の調子を整える薬くらいなら、左近でも用意できる範囲だ。

だがより肝心なのは、彼が抱えている不安の方だろう。それが解消できなければ、再び調子を崩すだろうことは想像に難くない。だが左近には心理的なケアについて知見がなかった。
湯気の立ち始めた煎じ器の水面を眺めながら、こんな時伊作先輩ならどうしていただろうかと考える。思案する内に蘇ったのは、以前先輩がやむを得ず一年生の乱太郎に委員長代理を任せた際に仰っていた言葉だった。

「……不安になるのは分かる。けど、一所懸命に練習したんだろ? なら自分を信じてやらなきゃ。できるものもできなくなっちゃうだろ」

薬を煎じる傍ら、おもむろに一平に話しかけた。
試験前に不安になるのは皆同じだ。……アホしかいない一年は組だけは違うかもしれないが。特に左近や一平のように、成績優秀を自負しているい組の忍たまはプライドが高い分、その傾向も強い。だからまずはその不安な気持ちを受け止めてやるのがいいだろうと考えたのだ。

「お前も優秀ない組の忍たまなんだ、きっと上手くできるさ。……ほら、薬ができたからゆっくり飲んで」

励ましの言葉を続けつつ、ちょうど仕上がった薬を椀に注ぎ手渡す。一平は呆気にとられたようなぼんやり顔でのろのろと椀を受け取った。左近は一年相手に柄でもないことをしたかなと少々照れくささを覚えたが、何食わぬ顔を装って片付けに取りかかった。

心ここにあらずといった風情で暫く手にした椀をじっと見つめていた一平は、やがてゆっくりと口元へと運んだ。

「――あったかい……」

ほうと息をつき、そう漏らす。横目で窺い見れば、青かった顔色が少し戻ってきているようだった。

「失礼しまぁーす!」

だが左近の心境が安堵から自画自賛へ切り替わるのを待つことなく、威勢のいい声と共に元気よく入室してくる者があった。
背が低く横に丸い一年生、福富しんべヱである。

「おい、声が大きいぞ。医務室では静かにって何回も言ってるだろ」
「すみませぇん」

いい気分を邪魔された不満も相まって刺々しく注意すれば、しんべヱは素直に謝罪した。が、室内を見渡すなり眉を八の字にして唇を尖らせる。

「ええ~、左近先輩しかいないんですかあ?」

率直に不満を垂れたしんべヱをじろっと睨む。だがしんべヱはてへへと笑って誤魔化しただけで、気にした風もなく入室してきた。相変わらず不遜かつ図太すぎる態度だ。
だがいつものことであったため、怒るより呆れが優った。故に左近はそれ以上何も言わずに片付けを続けつつ、しんべヱが寄ってくるのを待つことにした。

「あれ、一平じゃない。どしたの?」

だがしんべヱは左近の前まで来てようやく存在に気がついた様子で、まず火鉢の傍らに座る一平に話しかけた。

「お腹痛くて」
「そっかぁ。お腹痛いの、やだよねえ~。――ね、それお薬? なんか美味しそうね……」

一平の手元の椀を見てじゅるりとよだれを垂らしたしんべヱに、一平は慌てた様子でそれを背に隠した。……反応の早さと適切な対応は、過去被害に遭った経験から来ているのだろうか。しんべヱの見境のない食欲には、呆れをも通り越して感嘆する他ない。

「で、しんべヱはどうしたんだ?」

場を取りなすように淡々と尋ねれば、しんべヱは今思い出したかのように急に辛そうな表情になった。左近の前に座ると、視線と共に右手のひらをずいっとこちらに向けてくる。

「用具委員会で手裏剣を磨いてたら、手を切っちゃったんです。平太が生首フィギュアにびっくりして飛びついてきちゃって」
「見せて」

差し出された手を引き寄せ観察する。まだ柔いしんべヱの手のひらには、確かに刃物によると思しき切り傷がついていた。比較的大きいが深くはなく既に血も止まっている。
だが小さな傷が後々命取りになることもある。毒剣を扱う忍者にとっては常識と言っても過言ではなかろう。軽んじたりせずすぐ処置に来たのは正しい判断と言える。

「傷口は洗ったのか?」
「洗いました! 富松先輩が青い顔して『数馬先輩にドヤされる』とかなんとか仰るから……」

即うなずいたしんべヱが、やや戸惑ったように眉を下げて付け加えた。
思わぬところで再び数馬先輩が登場した。富松先輩は数馬先輩と同じ三年生だ。どうやら同級生の教育も既に行き届いているらしい、さすがである。素直に感心する一方で、再び先輩との差を突きつけられたようにも感じられて、左近の気持ちがまた少し落ち込む。
だが治療をするのに自身の気分は関係ない。故に左近は沈んだ気持ちを抱えながらも、棚から救急箱を取り出すと手当の準備に取りかかった。

(負傷者は一年生で、傷も浅い。なら、効果が少し弱くても沁みない方がいいよな……)

「――ねえ、なんで左近先輩だけだとやなの?」

使用する薬を吟味していた左近は、ごく微かな話し声を背中に聞いた。ヒソヒソと尋ねたのは一平だ。なんとも失礼な話題に、思わず眉間にシワが寄る。

「え、だって二年の先輩ってみんな意地悪じゃない!」

聞き耳を立てるでもなく話を聞いていたところ、しんべヱは何を考えているのか、わざわざ声を潜めた一平をよそに普段と変わらぬ声量で当然そうに答えた。――多分、何も考えていないのだろう。しんべヱはアホのはの中でも群を抜いたアホだ。
当然ながら一平は焦った様子で「声が大きいよ!」と、やはり小声で苦言を呈した。こちらの様子を窺う気配を感じた左近は素知らぬふりで作業を続ける。

(全部聞こえてるっての。……潮江先輩すら渋い顔するめちゃくちゃ沁みる薬にしてやろうか)

そんなことを考えつつも、手元では適切な薬を選び取る。治療に私怨を交えるのは保健委員として不適切だし、この程度で報復に出るのはさすがに大人げないと思ったのだ。
暫く様子を窺っているようだった一平は、左近に聞こえていないと思ったのかさらに声のトーンを落として質問を重ねる。

「……二年の先輩って意地悪なの? 僕あんまり接点ないんだけど」
「新ヌガー・ホットケーキってやつだね!」

ひどく不安そうな声を出した一平に、しかししんべヱはやはり態度や状況を汲むことなく大変元気のよい返事を得意げにした。

「……………………?」

謎に沈黙が降りた。
なお、謎なのは沈黙そのものではなく、しんべヱの発言の方である。何を言っているのかまったく分からない。

しかし。

「……もしかして、知らぬが仏って言いたいの?」
「そうとも言う!」

一拍の間を置いて不審げに尋ねた一平に、しんべヱが元気よく請け合った。

(なんで今ので分かる!? それになんだ“そうとも言う”って!? そうとしか言わないだろ!! ちょっと使い方違う気もするし!)

後輩二人の理解不能な会話に、左近はツッコミを入れずにはいられなかった。もちろん聞いていない体のため内心だけでだが。

失礼な後輩に対する怒りと困惑でわやくちゃな心境だったが、とりあえず腹立たしい話題は一段落したようだ。左近は一年生二人に聞こえるようにやや声を張り「よし」とつぶやいてから、薬と包帯を手に彼らを振り返った。

しんべヱの右手を取り、薬を塗ると上から包帯を巻いていく。先ほど不満を露骨に出していた挙げ句失礼な発言をかましていたしんべヱはしかし、大人しく左近の手当を受けている。

「文句垂れてた割に大人しいじゃないか?」
「だって乱太郎が、前に言ってたんです」

治療を終えると同時につい当て擦る。だがしんべヱは特に気にした様子もなく、包帯の具合を確認しながら話し始めた。
突然出てきた保健委員会の後輩の名に、左近は眉をひそめた。

乱きりしんの三人は長屋も同室でほぼセットだ。しんべヱがああ言っているのなら、乱太郎も左近のことを『意地悪な先輩』と認識しているに決まっている。どんな話をするつもりなのか見当も付かないが、失礼な話だろうことはまず間違いない。
故に左近は「失礼だぞ」と怒る準備だけして、一応話の続きに耳を傾けた。

「『確かに私たちには意地悪だけど、病人怪我人には優しいし処置は丁寧なんだ。だから委員会の先輩としては信頼してる』って。それを思い出して」

それは思いがけない評価だった。左近は衝撃に言葉を失う。
強烈な喜びが胸中に勢いよく湧き上がり、耳殻や頬が熱を帯びていくのが分かる。照れ臭いやら恥ずかしいやらでどうにも落ち着かない。

「いっ、意地悪は余計だッ!!」
「きゃっ!」

処理しきれない感情を持て余し思わず怒鳴ると、しんべヱが悲鳴をあげて身を引いた。再びてへへと笑って誤魔化しつつその場に立ち上がる。

「ありがとございました! 評判のお粥、今度絶対食べさせてくださいねッ!!」

しんべヱは早口で言いたいことだけ言うと、脱兎のごとく医務室から出て行った。その意外な俊敏さに驚きつつ、左近は慌てて後を追って医務室から顔を出す。廊下の先に目を向ければ、まださすがに余裕でしんべヱの背中を視界に捉えることができた。

「包帯濡らすなよ! あと廊下は走るなー!」

去りゆく背中に声を張って注意すると、しんべヱは首だけを返して「はあーい!」と叫びそのまま駆け去った。
さすがはアホのは、いいのは返事だけでまったく響いていない。既に知っていたことだが、土井先生と山田先生が手を焼くのも納得のアホっぷりである。
左近は呆れ交じりのため息を吐きつつ戸を閉めた。

「落ち着いたので、僕も戻ります。ありがとうございました」

定位置に戻った左近が腰を下ろすのとほぼ同時に、一平が待っていたと言わんばかりに立ち上がった。左近は謝辞と共に返却される布団と椀をそれぞれ受け取る。
慌ただしいことだと思いながらその場で見送る。だが廊下に出た一平はすぐに戸を閉めることはせず、医務室内に向き直った。

「お世話になりました」

そう言ってぺこりと頭を下げられた。
左近は瞬いた。不本意ながらいつも失礼な乱きりしんに慣らされてしまっているため、礼儀正しく丁寧な一平の態度に素直に感心する。

「試験頑張れよ」

返事代わりに素直な気持ちで励ましを口にすると、一平はゆっくりと元の姿勢に戻った。驚いたようにこちらを見ていたその顔が、見る間にぱあっと明るくなる。

「はい! ありがとうございますッ!!」

明るい笑みを浮かべた一平は、声量は抑え気味に元気よく返事をして今一度頭を下げた。それから静かに戸を閉めて長屋へと戻っていく。

一人残った左近はしばらくの間ただぼんやりしていたが、我に返ると片付けを再開した。手だけは動かしながら、直前までのできごとを反芻する。
まず去り際の一平の言動に唇が笑みを形成し、しんべヱから聞いた乱太郎からの評価でそれが一層深まった。勝手にニヤつく顔を制御しようとしたが上手くいかず、口元が妙にむにゃついてしまう。

左近にとって、後輩から心からの謝辞を真っ直ぐに告げられたのはもちろん、自分に対する良い評価を耳にしたことさえ初めてのことだった。……日頃の自分たちの一年に対する行いのせいもあるのだろうが、それはこの際棚に上げておく。
そして初めて直面した事態に、なんだか胸の辺りがほわっと温かくなる感覚を覚えていた。

自分の力で誰かを元気にできたことがとても嬉しく、左近なりに真摯に取り組んできた保健委員としての仕事が認められていたことが心底誇らしい。
なんだかとても晴れやかな気分だった。先ほど抱えていた沈んだ気持ちは、もうどこにもない。

一通り片付いたところで、先ほど預かった数馬先輩の帳面を懐から取り出し今一度眺めた。
もちろん使い込まれてもいるのだが、よく見ると土汚れや濡れて乾いた跡と思しきところもたくさんある。この帳面がボロボロになったのには、数馬先輩と共に数々の不運を乗り越えてきたせいもありそうだ。
改めて内容に目を通していくと、虫獣の毒関連に結構なページ数が割かれていることに気がついた。きっと先輩の同級生に『毒虫野郎』がいるからなのだろう。そして田村先輩が目を留めた火薬に関する記述は、その毒対策から派生していったものであったらしいことが流れから読み取れた。

数馬先輩が知識を蓄積してきた時間とその背景に思いを馳せ、左近の胸の内にやる気がめきめき湧いてくる。

「よぉーし」

自分以外誰もいない医務室で、一人ぎゅっと拳を握る。左近の前向きな気持ちを激励するように、火鉢の炭がぱちりと爆ぜた。

――まずは数馬先輩が戻ってくる前に、今日の作業を片付けてしまおう。そして時間ができたら、田村先輩が褒めていた火傷の処置について教えて貰うのだ。なんせ僕の同級生には、火薬委員が二人もいるのだから。

そんなことを考えながら、左近は再び包帯巻きの作業に取りかかった。

ある午後、務室にて


[2024/2/13] 忍学年混合団体オリエン企画 参加作品

企画名はこれであっているんだろうか…(汗)

ランダム選出の上級生&下級生で話を一本つくるあそび、とのこと。素敵で面白そうな企画だな~って思って参加させて頂きました。
六ツ時、今までほぼCPものしか書いてきてないんですが、一応ずっと箱推しの民です!! オールキャラ系も全然読みますし大好きです。
でも作品見ると説得力がなさ過ぎるなって思ったので、この機会にチャレンジしてみようかと…。遊びとのことだったので、
上手く書けなくても許されるかなって思いまして…。

やたらと長くなった上に回想登場キャラが多くてえらいすみません。自分なりにすごく考えたんですけど、4人が同時に同じ場にいて
何かするって状況を上手く組み立てられず…結局推し(左近)の力を借りました。
六いと学級が創作のベースキャンプなので、初めて動かした子ばかりでした。
キャラ崩壊はしてないと思、…うんですけどぉ…………違和感があったら申し訳ない。

でも考えるのも書くのも本当に楽しかったです。忍たまはやっぱり皆可愛くてよいですな…。
素敵企画ありがとうございました!

◆蛇足の話
・三木ヱ門は、左近が瞬時に『保健委員として』適切な対応をしようとしたことに驚いていました。
・去り際の三木ヱ門の行動は評価と激励によるもので、もちろん左近も含まれているからこその行動だったのですが…本人は全然気付いていないという。
・「一年生の乱太郎に委員長代理を任せた際」=最高映画『全員出動の段!』より
・一平がしんべヱの発言を解読できたのは教科担任の影響です。
 は組の言葉遊び系ボケ、ろ組よりい組の方が
 正確に解読できてたら可愛いな~って思います。それを繰り返した結果、は組に「さっすがい組、分かってるゥ~♪」とか
 言われるようになり、大変不本意だと思ってるとなお可愛い…(極大妄想)。

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