哀しいその背を押してあげる //落乱-鉢尾小説 万年時計のまわる音

■読む前に注意点■
 この作品は『悪夢に咲いたは合歓の花』の番外編、おまけです。※本編はR18です。
 作中に出てくるワンシーンの後の話ですので、読了後に読まれることをお勧めします。
 伊作目線での語りメイン、鉢尾は登場しません。また鉢尾以外のキャラ同士での恋愛を匂わせる表現があります。


哀しいそのを押してあげる

悪夢に咲いたは合歓の花 -番外・伊作編-

「伊作くんは相変わらず優しいねえ」

ドアの鍵をかけたタイミングで、背後から柔らかく声を掛けられた。その言葉に伊作はゆっくりと振り返り、愉快そうに笑っている男を半眼で睨みつける。

「……やっぱり分かってて茶々入れたんですね。あんまりふざけてると締め落としますよ?」

たった今、自分を頼って来た後輩を追い出したばかりの自分に対し『優しい』という表現を用いた教授に、その意図する所を察した伊作は少々の怒りを以って彼を詰った。

今朝研究室に着いてすぐに、開発したばかりの薬が無くなっていることに気が付いた伊作は、正直かなり慌てた。現代の薬はあの頃と比して効能が格段に強く、人に対して使われるのはやはり恐ろしいことだったからだ。
持ち出したのは尾浜以外考えられなかったが、前世から思慮深かった彼が軽率にそんなことをするとは正直思えなかった。しかし実際に薬は消えており、他にこの薬のことを知る者はいない。
現時点で特に連絡などが入っていないことから、危険な状態に陥ってはいないだろう。特にこれと言った心当たりはないが何らかの事情があったのだろうと考えた伊作は、取り敢えず彼が説明に現れるのを待つことにした。

昼になり、案の定申し訳なさそうな顔で研究室を訪れた彼に事情を問うと『どうしてもすぐに試してみたかった』などと幼稚で説得力に欠ける動機を話した。その上で夕刻に一人この部屋へ舞い戻って薬を取ったこと、今もまだ女の身体のままであること、不幸にもストーカーに付きまとわれていて現在は鉢屋の家に避難している旨を話した。
伊作は、かなり端折られているだろうこれまでの経緯と打ち明けられた彼個人のトラブルの話、そして突然登場した鉢屋の存在を踏まえ、彼が短絡的とも思える行動を起こしたのには、鉢屋が大きく関わっているらしいと察した。

前世の伊作は在籍中、保健委員長としての立場もあって学園内の色恋の話にはかなり詳しかった。断片的な情報が集まり伊作の下で一つの事実になる。中には目くらましにわざと広められたのか噂に尾ひれがついただけなのかは分からないが、てんででたらめな情報もあった。
そんな無数の噂の中に、尾浜と鉢屋が恋仲だという話もあった。多くの人はそれを、全く意味のない目くらましだと思っていたようだ――鉢屋が不破に固執しているが故に。だが当時の伊作は、その噂は事実なのだろうと思っていた。

尾浜は目立たない人物だったが、先生方の信頼を見ても平均平凡な生徒ではないはずだった。そこから導かれるのは、噂すら出回らないほど己の情報と能力を違和感なく隠せる彼の優秀さである。なるほど五年い組の級長を務めるだけあるなと、伊作は思っていた。
直接話をしてみても、彼は情報伝達という目的においては非常に明快な話し方をしてのける癖に、こと自身の話になると非常に曖昧に話した。そしていつの間にか話題を逸らしてしまっているのだ。そんな風に自身のことは掴ませない立ち回りを見せる、なかなか食えない後輩だった。
だが伊作には、そんな彼の胸中を垣間見る機会があった。稀に、鉢屋のことを遠目に眺めている尾浜の姿を見かけることがあったのだ。

その時の彼は伊作に気づかないほど熱心に鉢屋のことを見つめている癖に、顔は怖いくらいに凪いでいた。伊作には、違和感すら覚えるその静かな瞳の奥に冷え切った熱が凝っているように見えていた。彼がそんな顔をしているのは決まって鉢屋が不破と共に居る時で、何度か見かける内にその妙に引っ掛かる表情は『諦め』という名がつくものなのだろうと思うようになった。それ故、彼は鉢屋に対して並々ならぬ感情を抱いているのだと見ていた。

対して鉢屋はと言えばあからさまに、酷く不破に固執していた。それは学園関係者なら誰もが知っていることだったが、伊作の目には彼が不破に向ける感情は極めて清らかで、色など欠片も含まれてはいないように映っていた。
一方で尾浜に向ける視線には、不穏な感情が内包されているように見えることが多かった。それは怒りかそれに近しい凶暴さを孕んだ感情であるように感じられたが、彼は尾浜ととても親しくそんな負の感情を人知れず抱いているとは思えなかった。更に、彼らと同じ地で過ごした五年間でたった二度ほどではあったが、鉢屋が驚くほど柔らかな表情で尾浜のことを見つめている場面に出くわしたことがあった。その表情をしている彼を見ることは、その二度を除いて後にも先にもなかった。それ故、伊作が鉢屋の中に見た凶暴な感情は嫉妬や欲といった、恋にはどうしても付いて回る感情だったのだろうと、そう理解している。

伊作の目には、少なくとも二人は互いに特別な感情を抱いているように映っていた。だからこそ、彼らが恋仲だと言う噂は正しい情報なのだろうと思っていたのだ。
しかし後から伝え聞いたことには、自分が卒業した一年後、学園を卒業した尾浜と鉢屋はごく普通に道を別にしたのだそうだ。当時の伊作が己の確信を疑ったほど、本当に何もなくあっさりと。
今思えば、あの時代柄恋を選ぶことができなかったのかもしれない。その後彼らが再会したのかどうかさえ定かではなく、結局二人の関係は分からず仕舞いだった。

そのまま時は流れ、伊作は幸か不幸か前世の記憶を持ったままこの平和な世に生まれ落ちた。そして伊作と同様に前世の記憶を持って生まれた尾浜と一年ほど前に再会し、彼はその記憶の為か伊作に大変懐いた。そんなこんなで頻繁に顔を合わせる間柄となり前世に纏わる話も何度もしてきたのだが、そういえば彼と同様に今世に生まれ変わっているはずの彼の同輩たちの話はあまり聞かなかった。
彼からは、彼とよくつるんでいた四人は偶然にも皆この大学に在籍しており今も親しくしているが、誰一人として前世の記憶を持っていない、ということしか聞いていない。あまり意識していなかったため気が付かなかったのだが、恐らく意図的に話題にすることを避けていたのだろう。

もし当時の伊作の確信が的を射たものであり、今世でもなお尾浜があの頃諦めていた恋を引きずっていたのなら、無謀にも近い暴挙を敢行したことに合点は行く。
ならば伊作としては可愛い後輩の、諦めを胸に佇んでいたあの寂しげな背中を押してやりたいのだ。既に何百年と経っているのだ、今更過ぎる話ではある。しかし唯一かもしれない、当時の彼らの胸の内を知っていたのだろう身としては、二人を繋ぐ手助けをしてやりたいのだ。
鉢屋が憶えていなくても、懐いてくれている可愛い後輩が辛い思いを今なお秘めているのなら、そして少しでも可能性があるのならと、そう思って。
あの神経質そうな鉢屋が家に置いているなら、それだけ尾浜に気を許しているということだろう。憶えてはいなくとも、記憶を持たない留三郎が今生でも伊作の隣を選んでくれたように、鉢屋もまた尾浜に特別な感情を抱く可能性はある。伊作はそう信じたかった。
衝動的に未知の薬を飲んでしまうくらい鉢屋の近くに行きたかったのだろうに今更なぜ、彼が鉢屋と距離を取りたがっているのかは分からない。しかし、せっかくの機会に逃げていては何も進まないだろう。尾浜をすげなく追い返したのは愛ある拒絶だったのだ。

彼の暴挙の背景は理解できた。しかしそれは彼一人では本来成し得ないはずの行動だった。尾浜はまだ二回生で、しかも薬学部の学生ではない。そんな彼がここから単独でかつ秘密裏に、何かを持ち出すことなどできるわけがない。
研究室の全ての薬品棚には鍵がついていて、その中の物を許可なく持ち出すことはできない。それが例え伊作が趣味で作った非合法の薬であってもだ。そして伊作は間違いなくすべての棚、部屋のドアも確実に施錠してから大学を出た。尾浜がこっそり立ち寄っても、薬品棚どころか室内にすら入ることはできなかったはずなのだ。
それができたというのなら、この曲者が暗躍していたのはまず間違いない。なおかつ伊作の拒絶を『優しい』と評価するからには、前提となる尾浜の胸の内から伊作の考えまで全てを把握しているということに他ならない。

「だって尾浜くん、相変わらず不器用で一途で、可哀想で可愛いんだもの。可哀想で可愛い尾浜くんをもっと見てたくってつい、ね」

怒りを込めて睨んでいると、教授は愉しげに笑いながら弁明になっていない弁明をした。それは自身の悪事を認めるもので、しかも動機がこの上なく最低だった。一ミリも反省などしていないし、する気もないことがよく分かる。
そんなことだろうと思ってはいたし、数百年前から変わらない彼のねじ曲がった根性を今更どうすることもできるはずもない。伊作はただ呆れたようにため息を吐いた。

「生まれ変わっても本当に悪趣味ですねえ。僕のことも、なんでか見つけてくれちゃいましたしね~」
「伊作くんは特別♡ だからね。でもお陰で好きに研究ができて楽しいでしょ? そろそろ私の所にお嫁に来てくれていいんだよ?」

自分の席へと戻りながらストレートに貶すと、教授も手を止めることなくおちゃらけた口を利いた。意図して話題を逸らしたことを分かった上で乗ってくれる教授に伊作は薄く笑い、次なる薬品の計量に着手しながら口を開いた。

「そうですね、教授には感謝してますよ。でも僕には愛しの留さん♡ がいますので」
「んもー、つれないなあ。食満くんは昔と変わらず邪魔だねえ。やっぱり殺しておけばよかったかな」

軽口の延長に突如現れた物騒な単語とわずかに滲んだ殺気に、伊作は一瞬寒気を覚えた。しかしその殺意の向かう先が現在ではないことを知っている。
相変わらず思考が読めず、どこまでが本気なのか分からない人だなと思いながら、伊作は彼の、尾浜の暴挙を幇助した最低極まりない動機と数百年前の、ではあるが自分の大切な人へ向けられた殺気に対するちょっとした意趣返しのつもりで口を開いた。

「それに僕、知ってますよ? 雑渡さん、すっごく大事にしてる本命いるでしょ。あの頃から変わらずに」
「――ふふ、これだから伊作くんは……。ホントに君って面白い子だよねえ」

横目で鋭い視線を送りつつ投じた一石に、教授はしかし面白そうに笑うだけで問いには答えなかった。伊作は否定しないのが答えなのだろうと思いながらこれ以上問答をしても無駄だと判断した。特に興味もないので言及すること自体をやめる。

可愛い後輩のことに少しだけ思いを馳せたが、自分がそうであるように前世の彼らは今の彼らとは同じようで違うのだ。後は今の彼らがどうしたいか、どうするか次第であり、これ以上の干渉は無用である。
そう考えた伊作は、どうか自分の作ったあの薬が彼らにとって良い結果をもたらしますようにと、心の中だけで祈ってから目の前にある試験管を手に取った。

〈おしまい〉


[2020/10/19]

〈あとがき〉※若干改変してます
本編執筆中に入れたいな~と思いつつ入らなかった伊作目線の話です。
個人の趣味全開の完全なる蛇足。前世の鉢尾の関係が少し分かるかな?と思います。

個人的に尾浜くんと曲者を絡ませたくて仕方なくてですね…。すべては以前読んだ尾鉢の同人誌のせいです。
尾鉢だけど解釈がドツボすぎて辛くて……。
無駄に構想とか設定を膨らました残骸があるので、いつかその話も書けたらいいなと思います。

うちの鉢屋くんは大体酷い人ですが、鈍感すぎるというか自分のことに頓着しない不器用な人なのです。
悪意はないし大体勘右衛門が好きすぎてとち狂う残念な青年なので、どうか生暖かい目で見てあげてください(説明が酷い)

逆に尾浜くんは迷走しまくってて…安定しなくてごめんよ勘右衛門。
可哀想な目にあわせたくなっちゃうんですが強かな男の子にしたいので、本当毎度のことながらどう書けば伝わるのか??
悩み悩み書いています。伝わるといいな~(投げやり)

こんな蛇足本までお読み頂きありがとうございました!少しでもお楽しみいただけていれば幸いです。

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