傷痕と記憶 //落乱-仙文小説 万年時計のまわる音

■読む前に注意点■
 ・なんちゃって大正パロです。唐突に始まります。勢いで書いたので深く考えずにお読みください。
 ・女装子が出てきます。
 ・表紙は如何わしいですがエロはありません。


傷痕と記憶

自分に影を落とす目の前の女を、文次郎は戸惑いも露わに見上げた。
自分の下には清潔なシーツをかけられたベッドがあり、周りは高級そうな天蓋が覆っていて部屋の中はよく見えない。
何故自分は大家宅の天蓋のついた豪奢なベッドで美女に見下ろされているのだろうか。文次郎は何がどうしてこうなったと心中で頭を抱えた。

幼少時代を過ごした地に文次郎が帰って来たのは偶々だった。
学問を志す己には都合のよい立地であり、かつ家賃の安い物件が偶々見つかったためである。
これから世話になる借家の所有者である立花家は、当時から近所でも有名な資産家だった。文次郎の家は大した家ではなかったが立花家に文次郎よりふたつほど歳下の娘がいたため、当時は多少なりとも交流があった。
その娘は幼いながらも大変綺麗な顔立ちで近所でも評判であった。病弱だった彼女と親しくした覚えはあまりないが、当時密かに憧れていた文次郎はよく覚えていた。偶然とはいえ懐かしいものである。

挨拶のためささやかな手土産を手に立花邸を訪れた文次郎は、出迎えた女性に中へ通された。その女性は同じ歳の頃に見え、その美貌からも件の娘と思われた。名は確か仙子といったか。
聡明そうな顔立ちに、黒く豊かな長い髪を綺麗に整えた彼女は相変わらず、いや当時より美しい。臙脂色の袴がよく似合う淑やかな女性に成長した彼女に、文次郎は思わず見惚れた。相手方は憶えてなどいないだろうが、文次郎は当時の面影を探しては懐かしく思いつつその背を追って屋敷へ足を踏み入れた。

案内されるままに、あまり覚えてもいない癖に懐かしい気がする洋館の中を進む。やや薄暗い廊下を歩き流線の美しい階段を上って、やがて一室の前で足を止めた。ドアを開けた彼女に促されて室内に入る。
しかし文次郎は、入って数歩進んだ所で思わず足を止めた。通されるのは応接室だろうと思っていたのだが、そこがどう見ても客人を通す部屋ではなかったからだ。部屋の真ん中に天蓋のついた豪奢なベッドが置かれている。調度品の雰囲気からして年若い女性の寝室だろう。

思いもしない展開に文次郎の優秀な頭脳は思考停止した。暫し茫然としようやく我に返ると、年頃の女性の寝室に侵入してしまった事実に慌てて踵を返そうとする。
しかし丁度そのタイミングで、いつの間にか目の前に迫っていたベッドへと強く突き飛ばされた。思考停止している間に、腕を引かれるまま部屋の中ほどまで進んでしまっていたようだ。
ベッドを覆う柔らかな絹を巻き込む形でベッドの上に転がった文次郎は、下敷にしてしまった天蓋が破けていないかと慌てた。その隙に文次郎の体の上に女が乗り上げてくる。

「久しいな、文次郎」

天蓋の無事を確認しホッと胸をなでおろした文次郎に、仙子が己に覆い被さるような体勢から微笑を湛えて見下ろしてくる。
透き通るように白く怜悧な顔は、微笑みを浮かべるととても華やかになる。憶えていたのか、と言う驚きとその魅惑的な表情に、文次郎は無意識に息を呑んだ。

「お、おお…よく、憶えてたな」

物理と精神の双方において距離感を図りかねた文次郎がおっかなびっくり言葉を紡ぐと、仙子は当然だろうと言いたげに片眉を軽く跳ね上げた。

「馬鹿な、忘れるわけがないだろう。お前こそ、いい加減思い出したんだろうな?」
「…は? ……なにを?」

唐突に文次郎を詰りつつ、仙子は白く細い指を差し出して文次郎の頬に触れた。そのままつうと輪郭を撫でる。文次郎は彼女が何を言っているのかさっぱり分からず率直に聞き返した。
その間にも己の顎の骨に沿ってゆっくりと撫でさする繊細な指に怖気を感じた文次郎は反射的に押し返した。仙子は文次郎の問いに面白くなさそうに鼻を鳴らす。

「まだ思い出してないのか、この盆暗め。念のため不動産屋に手回ししておいて正解だったな」

仙子は顔に似合わぬ粗雑な言葉選びで罵りつつ、自身の手を押し返した文次郎の手を引っ張る。文次郎は己の手を彼女の好きにさせたまま口を開いた。

「なにを言ってるのかさっぱり分からんが、男をホイホイ寝所に連れ込むなんて――…」

小言を最後まで言い切ることなく、文次郎は言葉を失った。自分の手が彼女の首に押し付けられたからだ。滑らかで温かな感触に驚き思わず手を引こうとしたが、女だからと反射的に手加減したせいなのかそれは叶わなかった。
仙子に操られ、文次郎の手は彼女のなめらかな肌を首筋から順に撫で下ろすようにして着物との隙間に差し入れられる。
文次郎はあからさまに狼狽し、もうこうなったら少し乱暴になっても致し方ないと精一杯力を込めて己の手を引き戻そうとしたが、仙子の力が存外に強くそれも徒労に終わった。顔に似合わずなんと怪力な女なのだと唖然とする。
その間にも文次郎の手は仙子の導きのままに下へと滑りおり、衿合わせに達してもなお止まず、白緑の着物の前が押し広げられて胸元が開いていく。

「ちょ…っ、おい! やめろ! 何を考えて――…っ?!」

白い肌が露になり、文次郎は目のやり場に困って自由な方の手で慌てて目を覆った。しかしその目隠しも仙子によって掴み除かれる。両手を拘束したまま彼女がそれ以上何も言わず動かないので、文次郎はどうしていいか分からず恐る恐る彼女の方を見やった。
薄目で伺う視界に嫣然と笑う仙子の顔が映り、次いでその胸元に視線が行って、文次郎は言葉を失った。

「どうだ、私の体は? 相変わらず美しいものだろう」

そこにあったのは、無駄な肉のないほどよく引き締まった胸板だった。
しかし文次郎には彼女の胸が小さすぎること以上に、左胸の中程に横一文字に刻まれている一寸程度の傷跡に釘付けになる。
一目見て何故かそれが刀による刺し傷だと察し、その事実が激しい衝撃を伴って本物の刃のように文次郎の胸に突き刺さった。脳裏に、見覚えのない懐かしい光景が、たくさんのよく知った見知らぬ顔が走馬灯のように次々と現れては消えていく。

突き刺さった胸の傷から流れ込んでくる情報の奔流に揉まれ流され、最後に、紅く鮮やかな光を背景に浮かび上がる男の姿が現れた。煤や泥で薄汚れた整った顔を苦痛に歪め、しかし眉尻を下げて笑う。吊り上がった口角の端から垂れ落ちる朱が焔に彩られて光った。熱風で舞い上がる長い黒髪とその背後の朱とのコントラストが、そのまま脳裏に灼き付いた。
文次郎は、映像から感じた熱で焼け落ちてしまうのではないかと思うほど強く灼きつくような胸の痛みと、生々しささえ感じる手応えを覚えた。それはまさしく、たった今灼き付いた光景が事実であり自身が為した所業であることを物語る。
引いていく記憶の波からようやく意識を持ち上げた文次郎は、目の前の女を瞠目して見上げた。

「――…っ、お前…まさか、仙蔵なのか!?」

動揺に乾ききった口からは掠れた音しか出ず、文次郎は無理くり唾を飲み込みながら言葉を絞り出す。その心中は今、驚きと後悔で占められていた。目の前の美女はそんな文次郎の心中を把握しているかのように目を細めて見下ろしてくる。

「気づくのが遅すぎるぞ情けない。それでも名の売れた忍か」
「今は一般人だ!」
「私も一般人だがな?」

揶揄うように半笑いで首を傾げた仙子もとい仙蔵を前に、文次郎はなんと言っていいか分からず、逡巡した挙句沈黙した。己を見下ろす仙蔵を真っ直ぐに見上げる。

あの時自分は、目の前の男の未来を奪ったのだ。六年もの歳月を共に過ごしてきた友であり、唯一無二の存在の行く末を。
言からしても随分と前から仙蔵は記憶を持っていたのだろう。交流のあった頃から既に知っていたのだろうか。自分を殺めた相手に彼が何を思って生きてきて今ここにいるのか、文次郎には計り知れない。しかしそれを知ることには意味はないとも思った。
文次郎(前の自分)が殺めた仙蔵()に対する謝罪など意味をなさないし、仙蔵(仙子)に対して文次郎(今の自分)が謝るのも不適当だと思えたからだ。
自分はただ、向けられる感情がどんなものであろうとも、今ここにいる彼の思う所をそのまま受け入れるだけだ。そう考えたのだ。

「何思い詰めた顔してるんだたわけ。どこまでポンコツなんだ。私と同じようにお前もまた血反吐を吐いていた事を、私は昨日のことのように覚えてるぞ」

覚悟を持って見上げた仙蔵は、呆れたようにため息をついて文次郎の左胸の辺りに指を置いた。服の下で直接見えはしないが、己の胸に刀傷など残ってはいない。けれど触れられた所に疼くような痛みが生じ、文次郎の脳裏に、先の紅い光景が半強制的に描かれていく。先ほど感じた焼け落ちそうな痛みに重なるように、胸に痛みが走った。

「あの時私たちは同じ事を考えていたではないか。追い詰められて後はなく、傷も深くて助からぬ。ならば共に燃え朽ちよう、そう思っただろう?」

言葉は無くとも。
そう言って困ったように笑う仙蔵に、文次郎は脳裏に灼きついた光景がより現実感を増して細部まではっきりとしていくのを感じた。
友の心臓を貫いた手の感触。唯一無二ですら救ってやれない哀しみと遣る瀬無さ。ぼやける視界。失われていく己の体温。

「まったく、私はお前との最期の記憶を傷と共にちゃんと持ってきたのに薄情な奴だなお前は。大体、お前がポンコツなせいでこの格好を辞める踏ん切りがつかなかったのだ、反省してほしいものだ。ただし頭突きで壁を破壊するのはやめてくれよ」
「っ、せんわバカタレェ!」

やれやれと言わんばかりの仙蔵に対し、文次郎は反射的に怒鳴った。あまり口にしたことのない罵声が不思議と口に馴染む。
対して仙蔵は、怒鳴られたというのに至極嬉しげに笑った。彼が浮かべたそのなんとも言えない柔らかな笑みに、文次郎は幼い頃彼女に感じていたような優しい温もりが己の胸に宿った。相手は男だというのに胸の内に強く込み上げてくる愛おしさに据わりの悪さを感じ、文次郎は話題を変えてそれを誤魔化そうと思いつくまま口を開いた。

「ってか本当に、男なんだな」

呟いてから自分の発言内容を反芻し、逆効果にしかなり得そうもないことに気づいたが、遅かった。文次郎の言にきょとんとして瞬いた仙蔵は、次の瞬間にはにんまりと意地の悪い笑みを浮かべていた。
何かを企んでいるようにも見えさながら性根の悪いキツネのようだ。その表情に文次郎はなんとなく既視感を覚える。――…嫌な予感がする。

「ほお、この体を見ても分からんと? やはりポンコツだな。この国には体弱き男児(おのこ)を守るため女子(おなご)の姿で育てるという風習があるのを忘れたか? 仕方ないな、下も見せてやろう。だが私だけでは不公平だからお前も脱ぐんだぞ」
「やっぱそうだよないいぞ脱がなくてうんよく分かった」

にやにや笑いを増幅させて身を乗り出し迫ってくる仙蔵を、文次郎は押し返そうとするががびくともしない。思いの外厚い胸板からも、しっかりと身体を鍛えていることが伺える。

「まあそう遠慮するな。ざっと三、四百年ぶりか? 懐かしいな、当時のように身体で語り合おうではないか。なに、処女よりも優しく抱いてやるから心配するな」

明け透けに語りつつ、楽しげに文次郎のシャツのボタンに手をかける。今やただの書生に過ぎぬ文次郎は、女の格好をした男に組み敷かれた己を救う手立てを持たなかった。なす術なく晒された肌を、黒く美しい髪がさらりと撫でる。

この時点で文次郎は知らなかったが、借家は仙蔵によって仕組まれた罠で、今後この屋敷の一室に住まうことになった文次郎は、時を超えた仙蔵の愛情をその身一杯に受けさせられ、夜毎喉が枯れるほど艶声を上げさせられることになるのであった。

めでたしめでたし。


[2017/9/10] 忍FES.10発行

2017年の忍FES.10で頒布した仙文小説です。2019年にpixivに上げてました。
お耽美仙文大正パロが読みたい!という話から、女装子仙ちゃんに迫られる文次郎とかめっちゃ萌えるやん!??!
となって表紙絵を描き殴ったんですが、まあ漫画にする技量はないよね~ですよね~というところで小説にしてみました。
大正時代の勉強が足りていないわ着地点が迷子だわでいろいろとアレですが楽しかったです。
お手に取ってくださった皆様ありがとうございました!

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