ぬいで始まる恋の行き先
「はい」
委員会が終わり長屋に戻ろうとしたところを呼び止められた勘右衛門は、説明らしい説明もなくずいっと眼前に差し出された物体に瞬いた。
それはかの文化祭における人気商品とよく似た、布と綿で構成されているだろう品である。ただし表面積の大半は松葉ではなく濃い藍色で占められ、髪の部分は赤茶けた色をしている。顔は丸というには縦に長く、そこに縫い取られた表情も、外見に相応しからぬ挑戦的な気配を漂わせている。
「――なに? この生意気そうなやつ」
「見りゃ分かるだろ、ギニョールだよ。よくできてるだろ? 無駄に器用だからなあ、私は」
思うところがあってやや喧嘩腰に問えば、得意げな答えと共に含みのある言葉が返って来た。どことなく棘がある気がするその口ぶりに、勘右衛門は思わず片眉を上げる。
「……、それで?」
「モデルは誰だと思う?」
「――らい、ぞ……う」
したり顔の彼に対する反発心から、思ってもいないことが反射的に口を突いて出た。結果不自然につっかえてしまったことに、つい半眼になる。
途端、面白そうにこちらを見ていた三郎が吹き出した。
「へえ~、勘右衛門には雷蔵が生意気そうなやつに見えてるのか。それは知らなかったなぁ~」
「全部分かってる癖に白々しいな! 」
盛大なにやにや顔で当て擦られ、勘右衛門は声を荒げた。その文句は最早ただの敗北宣言でしかない。勘右衛門が勝手に自爆しただけで元々彼には特別非はないのだから、当然の帰結ではある。そう認識していてなお、意地悪な指摘に急騰する羞恥を堪えることができなかったのだ。つまるところ、負け犬の遠吠えのようなものだ。
その返答がツボに入ったらしく、三郎は肩を震わせて笑い出した。不満を募らせながらもぐうの音も出ない勘右衛門は、口をへの字に曲げて彼を睨め付ける。そうして暫し半眼を向けていると、ようやく笑いの治まってきた三郎が、おもむろに勘右衛門の両の手を取った。上に向けさせられた手のひらに、問題のギニョールが乗せられる。
「勘右衛門、欲しがってただろ? だから作ったんだ」
ギニョールに視線を落とした彼は穏やかな笑みを浮かべている。伏せられた薄色の瞳は、淡い光を弾いて煌めいていた。
至極柔らかな三郎の表情に、魂を奪われそうになる。だが魅惑的なそれからどうにか目を引き剥がし、勘右衛門もまた己が手に乗ったギニョールを眺めた。
初めて目にした造形をしげしげと観察する傍ら、彼の発言を脳内で反芻してみる。しかしその内容に心当たりはない。故に勘右衛門は瞬いて小首を傾げた。
その時、ふと吐息で笑う音が鼓膜を微かに揺らした。ほぼ同時に、乗せられたギニョールごと、勘右衛門の両手が三郎のそれにぎゅっと包まれる。唐突な彼の行動に顔を上げれば、にやっと笑う三郎の顔がすぐ目の前にあった。
「どこにも行かない私だ、可愛がってくれよ?」
悪戯っぽく笑う彼のその言葉で、ようやく勘右衛門は心当たりに思い至った。
そう。それは、――あの時の。
勝手に饅頭を食べて失踪した三郎の代わりのように、床に落ちていたぬいぐるみ。場所と姿形から三郎の私物だろうと判断した勘右衛門は、それを懐に入れて持ち主たる失踪者を探しに出た。
しかし間違いなく学園内にいるはずなのに、知りうる限りの場所を探し歩いてなお、勘右衛門には彼を見つけることができなかった。……協力を仰いだ雷蔵になら、見つけられるのだろうか――。一人きりの委員会室で、そんな仕様もないことを考えていた。
そんな折、何故だろうか。置いてけぼり仲間であるそれが、不意に探し人その人にこそ、似ているように思えた。そして一度そう思ってしまったら、もう三郎にしか見えなくなってしまって。佇まいすらやや不遜に映り、小生意気な雰囲気がまた彼らしく、可愛く思えてきて、――……。
四六時中共にいる癖に、姿を見れば喜んで飛んで行ってしまうほど、相棒のことしか見えていない。傍らにいても、勘右衛門はいつだって一人置き去りにされてしまう。不毛だと分かり切っているのに諦められずにいる、勘右衛門の想い人。
だが彼に似たこのぬいぐるみは、勘右衛門を置いて行ってしまうことはない。――意思を持たないのだから当たり前なのだが。丸っこくふあふあした小さな存在が、寂しさに似た感情に呑み込まれそうになっていた勘右衛門を慰めてくれているように思え、胸の痛みが少しだけ和らいだ。
『――いいな、お前。本人と違ってどっか行っちゃったりしないし』
その拍子に、口からまろび出ていた。それは嘘偽りのない、勘右衛門の本音の一欠片だった。
当時はまさか本人にしっかり聞かれているなんて思うわけもなく、直後になんやかんやあった挙げ句両想いと判明するなんて青天の霹靂に見舞われたため、今の今まで完全に失念していた。大体、今は実った恋を手の届かない星だと思い込んでいた頃にこぼした切なる想いの欠片を、いまさら本人に掬い上げられるなんて、誰が予想できるだろうか。
あの時慰めてくれた小さな存在とは異なる、しかし特徴は一致する眼前のギニョールが示す事実に、顔から火が噴き出そうなほど激しい羞恥が沸き起こる。
結果勘右衛門は、得意満面の三郎を前に、ただ顔を伏せる他どうしようもなくなってしまったのだった。
***
その日学園長先生に呼び出されていた三郎は、庵を出ると軽快な足取りで五年長屋へまっすぐに戻って来た。そのままい組の部屋の前でぴたりと足を止める。ご指示は大した内容ではなかったのだが、同じ委員会に所属する想い人に会いに行く口実にしようと思ったのだ。
室内を探れば、期待どおりよく知る一人分の気配がある。そこで三郎は意識的に真顔を取り繕うと、早速戸に手をかけ躊躇なく引き開けた。
「勘右衛門。今いい、か……?」
声をかけつつ室内に視線を投げたところで、三郎は思わず瞠目しすべての動きを止めた。目の当たりにした光景に釘付けになり、言葉もやや尻切れ蜻蛉になる。
「はいよ、また学園長先生の思いつきでも?」
読書をしていたらしい勘右衛門は、本を片手にくつろいだ風に座したまま、ごく穏やかに問い返して来た。しかし思考の処理が依然追いついていない三郎には、それに応える余地がない。故にただ、彼の膝の上の物体を無言で凝視し続けた。
「……、おい? どうしたんだよ」
来訪者が無言で動作停止していたら、当然不審に思うだろう。視界には訝しげな顔の勘右衛門がこちらの注意を引こうと手を振るのが映っている。それでもなお魂を呼び戻せない三郎は、変わらず凝視したままどうにか右手を持ち上げた。
「――それ、」
三郎が魂を奪った原因を指差すと、それに導かれるように勘右衛門もまた視線を落とした。彼は膝の上の物体を何度か瞬きつつ眺めてから、ゆっくりと顔を上げる。
「……このギニョールがどうかしたのか?」
やはりその顔には、なお理解が及ばないと言いたげな表情が乗せられていた。
実際、先日のような超常現象の類が起こっていた、なんてことはまったくない。くつろぐ勘右衛門の膝の上に、三郎が先日贈った三郎ギニョールが鎮座している、ただそれだけのことである。しかしそれは三郎にとって、まったく想定にない状況だった。
確かに、贈る時に「可愛がってくれ」と言いはした。だが勘右衛門も、なかなかに素直でない男だ。だから可愛がってくれるとしても時々撫でるくらいであろうし、それをこの目で拝める日は来ないだろうと思っていた。
そもそも彼が欲しがっていたのは〝ぬいぐるみ化していた三郎〟だった。しかしその造形を知るのは勘右衛門ただ一人である。故に彼に訊く意外に確かめる術はないのだが、突然渡して驚かせたい三郎としては、その選択肢は最初から存在しない。そこで妥協案として、制作経験のある人間が身近にいて実物の手本もあるギニョールを採用したのである。結果無事驚かせることはできたし、彼も喜んでくれていたと思う。しかしギニョール自体が、彼のお眼鏡に適ったのかどうかは確認できていなかった。
だというのにどういうことか、勘右衛門は間違いなく今、その膝上に三郎ギニョールを乗せているのだ。しかも三郎の目の前で堂々と。二重三重に想定外の事象が起きているのだ、驚きのあまりに動作停止してしまうのも無理もないだろう。
「な、なんだ。随分と可愛がってくれてるようじゃないか」
「まあね、せっかく作ってくれたんだし」
動揺を押し隠してやや強気で揶揄うと、意外にも勘右衛門は何のてらいもなく素直に肯定した。柔い微笑みを浮かべてギニョールを撫でる彼に、面映さを覚え口元が緩む。三郎はむにょむにょと動いてしまう唇を拳で隠しながら、満更でもない気分でうなずいた。
「――そ、そう……か」
「それにこの頭と髪のとこ、ふわふわで触り心地がよくってさあ。つい、こう……もにもに揉んじゃうんだよねえ」
勘右衛門は続けて話しながら本を傍らに置き、膝上のギニョールを持ち上げて軽く揉み始めた。その表情はうっとりとほころんでいる。
贈った己のギニョールを積極的に愛でてくれているなど、喜ばしいこと以外の何物でもない。だが何故だろうか、三郎はなんだかモヤモヤした気分に浸食されつつあった。
三郎の心中など知る由もない勘右衛門は、未だ心地よさげにギニョールを揉んでいる。……まだ揉んでいる。……揉み続けている。…………いい加減揉みすぎではないだろうか。……………………。
「あ、おい! 何するんだよ、返せ!!」
眉を怒らせた勘右衛門がこちらに手を伸ばして文句を言う。それもそうだろう。ズカズカと室内へ踏み入った三郎が、彼の手から唐突にギニョールを強奪したのだから。
問題のギニョールは彼に贈ったもので、勘右衛門の主張は正当である。だが彼に批難された三郎の不満は膨張の一途を辿っていた。ぶすくれた気分で、己が手の内のギニョールを見下ろす。それは相棒の姿を借りた自身を象り、この手で労を重ねて作った、いわば彼だけのための分身のようなものである。……の、だが。
三郎はそれを雑に懐へ押し込むと、勘右衛門の正面に乱暴にあぐらをかいた。腕を組んで居心地の悪さを誤魔化す傍ら、こちらに胡乱げな視線を向ける彼から視線を逸らす。
「んん~~?? いやお前何してんの? 返せってば」
困惑も露わに今一度手を差し出した彼に、返却を促される。だが三郎は今度も彼の要請に応じはしなかった。
「……偽物より本物、だろ」
視線を逸らしたままの三郎の口から、消化しきれなかった不満が勝手にこぼれ落ちていった。
「は、あ? 何言って、――」
勘右衛門は一層困惑した様子で疑問を呈した。だが続いた言葉は半端に途切れ、そのまま奇妙な沈黙がおりる。時間と共に増していく据わりの悪さに、三郎の眉間にしわが寄る。
「――ははぁ、」
暫しの後に、妙に納得したような声が聞こえて来た。滲む笑いに思わず視線を戻すと、したり顔で笑う勘右衛門と視線がぶつかる。
「……なんだよ」
「いーや? 三郎くんてば可愛いなと思ってさ」
面白くない気分でぶっきらぼうに問えば、まったくもって嬉しくない感想が返ってきた。同時に、身を乗り出してきた勘右衛門に顔を覗き込まれる。その口ぶりや態度からして、彼は三郎の不満とその背景を、正確に把握しているらしい。さらに面白くない気分になった三郎は、にまにまと笑いつつこちらの様子を窺っている勘右衛門を睨め付けた。
「うるさい、お前はもう少し可愛げを覚えろ」
「え~? そんな俺が好きなんだろ~~?」
不満も露わに噛みつけば、勘右衛門は一層意地の悪い笑みを浮かべた。行儀悪く床上を尻で滑って傍らに回り込むや、三郎の肩に腕を置き寄りかかってくる。さらにはその体勢のまま「このこの~~」などと言って頬を人差し指でつついてくる有様だった。彼のことは今も無論愛しく思っているし、想いが通じたのは心底嬉しい。しかしここまであからさまに調子に乗られると、鬱陶しい以上に腹立たしくなってくる。
「それ以上のたまうなら黙らせるぞ物理的に」
故に三郎は、特にひねることもなく脅す形で、不本意かつ不愉快な現状を打破しようとした。しかし。
突然、三郎の視界が肌色で埋まった。唇には柔らかく温かな感触が押し当てられている。
思いがけない展開に、三郎の優秀な頭脳は思考停止に陥る。そして再起動を果たさぬ内に、その魅惑的な感触はちゅっと可愛い音を立てて離れた。
肌色の塊が、見る間によく見知った丸顔に変わった。彼はまろい頬を桃色に染め、至極楽しげにこちらを見つめている。
「ふふっ、俺の勝ち~」
そう言って悪戯っぽく笑う彼は、弧を描いている自身の唇を人差し指でゆっくりとなぞった。彼の魅惑的な笑顔と色香を感じさせる仕草が、三郎の胸に甘く深く突き刺さる。
艶やかな彼の笑顔から、視線を引き剥がせない。甘い甘い恋の矢で貫かれた胸は、先刻から高らかに鼓動を刻んでいた。
そこで三郎はようやく気がついた。彼のもう一方の手に、三郎のギニョールがはめられていることに。
――ああこれだから、勘右衛門には敵わないのだ!
三郎は己を魅了して止まない恋しい人に、無我夢中で手を伸ばした。彼はただ笑みを深めこちらを見つめている。薄らと上気した頬を優しく撫でると、くすぐったそうに笑った。そのまま指を滑らせてあごに指を添えると、彼はゆっくりと瞼を下ろした。――受け入れられている。その実感が、三郎の胸に激しい歓喜を湧き上がらせていた。
そうして三郎は、魅惑的な勘右衛門の唇にもう一度、自身の唇をそっと重ねた。
〈おしまい〉
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超忍FES.2025の無料配布用に書いた話でした。
ぬいぱにっく!が結構気に入っている話で、書いている最中に「こういうエピソードも書きたいな~」とメモっていた蛇足話だったので、かなりノリノリで書いた記憶があります。
自分が作って贈ったぬいぐるみにすらやきもちを妬き、尾浜くんに手のひらでコロコロされちゃう鉢屋くんはとても可愛い。書くの楽しかったです!
ここまでお読み頂きありがとうございました!