贈り物は嘘で飾って //落乱-鉢尾小説 万年時計のまわる音

尾浜勘右衛門は臆病だ。

その印象は再会した時から、いや誰よりも長い時間を共に過ごしたあの時代からずっと変わらない。
そう言ったら、友人には十中八九あり得ないと笑い飛ばされるだろう。
しかしそれは、もしかしたら本人も自覚していないかもしれない本当の彼の姿なのだと俺は思うのである。

***

「なあ、勘ちゃん」
「ん?」
「本当に、それにするのか?」

兵助は共にレジに並ぶ親友の手にした箱を半眼で睨みつけながら、何度目かになる問いを口にした。何故かと言えば、中身の見えないその小さな紙箱に収まっているのが訳の分からない絵が描かれたマグカップだと知っているからだ。

「うん」

しかし問われた勘右衛門はと言えば、何故そんなことを聞くのかと言いたげに小首を傾げつつ躊躇なく肯定した。それでもなお神妙な面持ちでじっと見つめ自身の意見を訴えてみるが、勘右衛門はそれを解さずに箱を軽く掲げてにんまりと笑いかけてくる。

「わけ分かんない上にしょーもなくて面白いだろ?」

顔にのせられたのは悪戯を思いついたような、彼らしい愉快そうな笑みだった。しかし俺には、その瞳に陰がかかっているように映っていた。その見立ては絶対に間違っていない、そんな確信があった。

「……そう」

しかし俺は自ら始めた何度目かの問答を、やはり同じ所に帰結させたのだった。
勘右衛門が胸に秘めた想いに無遠慮に触れるようなことは二度としないと、心底後悔したあの日に決めていたからだ。脳裏をよぎる暗い瞳に少しだけ憂鬱になった気持ちを吐息に混ぜて吐き出す。勘右衛門を諭すのを諦めて目を伏せると、自分が手にしたちょっと高価なオーガニック珈琲が視界に入った。

五月晴れの好天に恵まれた本日、俺は勘右衛門を誘って友人に贈る誕生日プレゼントを買いにショッピングモールにやって来ていた。友人の名は鉢屋三郎といい、来たる水曜日にめでたく二十歳を迎える大学の同輩である。三郎にとっての俺たちは大学で知り合った友人という認識だろうが、俺たちにとっての彼は遥か昔、数百年前からの永い付き合いになる大切な仲間の一人だ。
以前この世に生を受けた時、俺たちは忍者の養成学校で出会い、六年という長いようで短い月日を共に過ごし、揃って学園を卒業してそれぞれ忍となって戦国乱世を駆け抜けた。そしてどういう訳か、その頃の記憶を秘めたまま、俺はこの平和な時代に再び生まれ落ちたらしかった。

俺が勘右衛門と再会したのは小学生の頃だった。
勘右衛門が転入生としてやってくるまで、俺はやたら豆腐が好きなだけのごく普通の子供だった。しかし教壇に立ちハキハキと自己紹介をする勘右衛門と目が合った途端、俺は雷に打たれたみたいな衝撃を受けた。今の彼の姿に前世の姿が重なって見え、共に過ごした時間の断片が脳裏を過ったのである。
後から聞いたことには、勘右衛門も同じような状態だったらしい。結果暫くの間互いにただ呆然と見つめ合う形になってしまい妙な注目を集める形になって少々居心地の悪い思いをする羽目になったのだが。とにかく、前世のこともあって俺と勘右衛門はすぐに仲良くなった。
今では前世と変わらない、いやそれ以上の大親友である。

その日蘇った記憶は恐らく全体のうちのごく一部で、それ以来、時系列もばらばらかつ断片的に、時も場所も選ばず唐突に思い出されるようになった。だから俺たちはしばしば互いの持つ記憶の話をどちらからともなくするようになっていた。話すと芋づる式に別の記憶が蘇ることがよくあったし、それらの記憶が夢でも妄想でもないことを確かめることができたからだ。
前世の記憶があることは二人だけの秘密だった。おいそれと信じて貰えるとは思わなかったこともあったが、懐かしい記憶を共有し愛でる時間は特別で、酷く満たされた気持ちになっていたこともあっただろう。他の関係者に出逢うことはなく、互いだけが唯一のよすがだったのだ――……大学に入るまでは。

数百名が在籍する大学で、所属の異なる三郎たちを見つけられたのは幸運だったと思う。同じ一般教養の講義をたまたま履修していたお陰だ。
彼らを見つけた時の、溢れ出しそうな想いを必死に堪えている勘右衛門の横顔は今でもよく覚えている。
俺も勘右衛門以外の前世の関係者に、しかも一番親しかった友人たちに出逢えるとは思っていなかったので大層昂ぶっていた。だからその時は気づけなかったのだが、思い返せばその時の勘右衛門は喜びとも苦しみともつかない複雑な表情を浮かべていたように思う。

それもそのはずだと、今なら分かる。
勘右衛門は生まれ変わってなお、同じように生まれ落ちているのかどうかさえ定かではなかった三郎のことを、ずっと好きだったのだ。

あの頃の三郎は勘右衛門の気持ちを知っていたが、それを受け取ることはなかった。
どうしてかは知らなかったが、時代柄もあっただろう。勘右衛門が何も言わないのでその真意を訊くことはできなかった。
そして今の三郎は、そのこと自体を覚えていない。

彼らに声をかけてすぐ、三郎が前世の記憶を持っていないことは知れた。記憶があったのは三人の内雷蔵だけで、しかも辛うじてと言う程に朧なものだった。
今生から全く新しい人生を送っている仲間もいる、という現実。前世の記憶などないのが普通なのだから当たり前なのに、その事実に俺は頭を強かに殴られたみたいなショックを受けた。
しかし勘右衛門は、言葉を失った俺とは対照的に朗らかな笑みを浮かべて二人に歩み寄り、楽しげに自己紹介を始めた。その時の俺は、そんな姿をぼんやりと眺めて勘右衛門は強いな、なんて馬鹿なことを考えていた。

今生の勘右衛門が抱える想いを知ったのは、彼らと再会して三月ほどたった初夏の頃。大学初の夏休みを前に高校時代の同級生が開催した宅飲みでのことだった。二十歳まで待てないクソガキの、酒に手を出したいが為の色気も糞もない男だけの飲み会だった。
初めての酒で許容量も分からず思うままに飲んだ俺はかなり酔っていて、箍が外れた結果勘右衛門に、二人に記憶がなかったのはショックじゃなかったのか、お前は強いなとこぼした。これまで暗黙の了解で触れずに来た話題だったからだろう、勘右衛門は少し驚いたように目を丸くした。しかしすぐに苦く笑って、俺には都合が良かったから、と軽い調子で請け合った。

「三郎が憶えてなくてよかったよ、これからも友達として傍にいられる」

どこか遠くを見るような、置いていかれた幼子のような顔でそう続けた勘右衛門に、俺はようやく自分の愚かさに気が付いた。
好きだった相手なのだ。俺の知る限りでは低学年の頃から卒業するまで、ずっと。自分のことを憶えていないことがショックでないわけがないし、憶えていて欲しかったに決まっている。例えそれが今の三郎にとっては気持ち悪いだけの記憶となっていて、自分との間に距離を置かれる結果になっていたとしても。
しかし憶えていないということは、翻せば少なくとも今世の勘右衛門が拒絶される可能性は現時点ではゼロであるということでもあった。
二人にとってどちらがよかったのかなんて分かるはずもないし、仮定の話をしても意味はないから言及のしようもない。だが勘右衛門はあの時間違いなく、彼が自分を憶えていなかったことに安堵しつつも傷ついていたのだ。強いのではない、ただ普通に見えるよう必死に取り繕っていただけだったのだ。

酒で緩められたが為に発したのだろうその一言、そしてその時の彼の顔には、勘右衛門が今なお胸に秘めている想いが如実に表れていた。急激に酔いが醒め、目の前にある洞のように暗い勘右衛門の瞳に胸が痛んだ。いっそ泣いてくれればと思ったが、深く静かすぎる瞳が、彼がその想いに囚われて久しく既に諦観の境地に達していて、もう俺がどんな言葉を掛けても慰めにもならないことを物語っていた。

勘右衛門は昔から自身の問題だけは秘して語らず、ひとりで抱え込む質だった。知っていたはずなのに、何故気づいてやれなかったのか。ずっと前世の記憶を共有してきたはずなのに、いつからひとりで抱え苦しんでいたのか。もっと早く、少なくとも春の時点で気付けていれば少しは違ったのではないか――……。そう思うと他人の機微に対する自身の鈍感さが悔まれる。そして酔っていたとはいえ、軽率に勘右衛門の柔らかいところに土足で踏み入ったことを心から後悔したのだった。

後悔の記憶からゆっくりと現実に戻った俺が再び憂鬱な息を吐いた頃、会計待ちの列が大分進んで遂に勘右衛門の順番が回って来た。店員に手渡される問題の小箱を見遣る。あのプレゼントは、今の勘右衛門の心そのものだ。

再会してすぐ親しくなった俺たち五人は、それぞれの誕生日にプレゼントを贈りあってきた。まだ肌寒さの残る晩春の頃、八左ヱ門が唐突に、恒例の…と言って雷蔵に三郎へのプレゼントの相談を始めたのだ。それを契機に俺たちはごく自然に、それぞれの誕生日にプレゼントを贈り合うようになった。
きっかけとなった三郎がトップバッターだった訳だが、彼はそこそこ付き合いが長いはずの八左ヱ門でも毎年悩む程度には贈り物選びが難しい、いわゆる『拘り屋』だった。珈琲好きと聞いていた俺は昨年珈琲豆をあげたのだが、プレゼントを手渡した直後にパッケージのメーカーを見るが早いか「ここのは酸味が強過ぎる」などと不評を頂戴したほどだ。
そんな三郎に勘右衛門が昨年贈ったプレゼントはと言えば、なんとヒゲ付きメガネなどのふざけたパーティグッズと駄菓子のセットだった。再会したばかりで確かに今の三郎の好みの情報は不足していたかもしれない。しかしまさかそんなしょうもないものを選ぶとは思いもよらず、またハイテンションな勘右衛門に強制的にヒゲ付きメガネとパーティー帽を装着させられた三郎が完全な無表情だったこともあり、俺は付き合いの長い友人として頭を抱えた。
勘右衛門は確かに独特な質ではあったが、それを踏まえてなおセンスが光るおしゃれな男のはずだ。それなのに何故。素直に疑問だったこともあり何度も問い正したが、彼の返答は「だって面白いだろ?」の一点張りだった。全然納得できなかったが埒が明かず、俺はやむなく口を噤んだ。
しかし後日件の飲み会で勘右衛門の胸の内を知ってようやく、その選択に合点がいった。勘右衛門は三郎に対する変わらぬ思慕の念を持っていたが故に、友人からのプレゼントとして不自然でないものは何かと悩みに悩んだ結果、ネタに走ったのだろう。
このまま放っておいたら今年もネタに走りかねない。雷蔵は慣れているから平気なのかもしれないが、意外と繊細な質である三郎の反応にまた八左ヱ門と並んで冷や汗をかく羽目になるのは勘弁願いたかった。どうにかしなければと思ったものの、珈琲豆は俺が昨年三郎の好まない豆を贈ったが故に三郎から今年のプレゼントとしてメーカー指定を受けてしまっている。俺が受けたリクエストを、勘右衛門からプレゼントするのは不自然過ぎる。

「じゃあマグカップは?よくあるプレゼントだとは思うけど、もし被ってもいくつかあっても困るもんじゃないし、実用的でいいんじゃない?」

頭を悩ませていた俺にそう提案したのは雷蔵だった。雷蔵は一応ろ組で唯一記憶を持つ人物だったが、不用意に踏み込むわけにもいかないため当時の勘右衛門と三郎の微妙な関係のことまで憶えているのかは分からなかった。
だが、今の三郎とも保育所からの仲らしく好みを含め彼のことを熟知している。そんな彼が言うのだから間違いないだろうし一理も二理もある提案だったため、本日勘右衛門を誘っておしゃれな珈琲ショップまで足を伸ばした次第である。

それなのに勘右衛門が選んだマグカップときたら、ピカソみたいだと言ったらピカソに怒られそうなくらい、本当に意味の分からない取っ散らかった絵が描かれたものだった。その隣には三郎が好みそうなシックでおしゃれなデザインのものもあったし、下の段には無難な色柄だけのシンプルなものもあった。それを踏まえ寄りにもよってそのヘンテコなデザインを選んだ挙句、俺が暗に言って聞かせても気付かないふりをして頑なにそれを選ぶという。ここまでくればもう、その選択肢を取る理由は一つしかない。
勘右衛門は臆病なのだ。ならば、俺にはもうそれ以上どうしようもなかった。
どうやら今年も、八左ヱ門と仲良く冷や汗をかいて見守るしかなさそうだ。

箱の中身の確認をした店員が微妙な顔をしているのを華麗にスルーし、「あ、贈り物なのでラッピングお願いします!」とハキハキ話しながら財布を開く勘右衛門を、俺はなす術なく眺めた。

***

明日の準備をすべく机上のテキストを手に取った勘右衛門は、忘れ物がないかと周囲を見渡して、机の上に鎮座している綺麗に包装された小箱に目を留めた。これを共に買いに行った時の兵助の顔が浮かび、思わずため息をつく。俺がこれを手に取ってから店から出るまでずっと、彼はその小綺麗な顔の眉間に皺を寄せていたのである。

兵助の言いたいことは分かっていたし、気を遣ってもらってなお頑なな自分を申し訳なく思ってはいた。しかし俺は、どうしてもこのマグカップしか選べなかった。去年決めた三郎へのプレゼント選びは『俺が面白いと思えるもので、絶対に三郎の趣味ではないもの』をコンセプトにすると決めていたからだ。
『面白い』というのは表向きの選択基準でしかなく、より重要なのは『絶対に三郎の趣味ではないもの』の方である。義務でもないプレゼントを用意するに当たってはあり得ない基準であるため絶対にバレないだろうと高を括っていたのだが、最終的に諭すのを諦めたのを見るにつけ、おそらく兵助はその意図に気付いているのだろう。昨年の夏、酒の勢いでつい漏らしてしまったせいで彼には要らぬ心労をかけてしまっている。折角忍者だった頃の記憶を持っているのに情けない、本当にプロ忍をやっていたのか。三禁に弱すぎやしないかと何度も自分を罵った。

去年のプレゼントは我ながら流石に苦肉の策過ぎたと反省していた。三郎の趣味に合致しないものを選びたいだけで、嫌がらせをしたいわけではない。三郎の事は友人としても勿論好きだし、皆と一緒に誕生日を祝いたい気持ちは有り余るほどある。
しかしこの胸にこびりついた彼への感情は、皆とは異なるものだ。しかも彼は、この想いが育った六年という長いようで短い時間を共に過ごした、あの鉢屋三郎とは異なる人間である。恋しくてたまらなかった鉢屋三郎は、もうどこにもいない。そう分かっているのに、彼に対する想いは消えてくれない。むしろ、新たに時を時を重ねる中で、今の三郎に対する今の自分の感情としてさらに育っていくようだった。
俺は自分の中で確実に大きくなっていく、前世を考慮しなくても十分に異質なこの感情が、何物にも代えがたい時を超えた俺たち五人の絆を壊してしまうのではないかと恐ろしくてたまらなかった。

また、プレゼントに思い入れを込めたら自分が勝手に振り回されてしまうだろうと容易に想像できていたことも、あり得ないコンセプト設定の一因になっていた。
もし気に入って貰えたら、三郎に他意はないのに都合のいいように考えて逆上せてしまうだろう。逆に、一生懸命選んだのに気に入って貰えなかったら絶対に傷ついてしまう。どちらの結果になっても不利益にしかならず、いくら自ら釘を刺して予防線を張ったとしても徒労に終わるのが目に見えている。
ならば最初から気に入られないものを。そう考えたのだ。使われてなくても、人に譲られたり捨てられたりしても自分が傷つくことのないように。渦中に居さえしなければ、血迷うことなく友人として上手く、よき友人の顔をして付き合っていけると、そう思って。

去年の三郎の誕生日、やけくそで選んだヒゲ付き眼鏡をええいままよと無駄に高いテンションを装って無理やり装着させた時、三郎が引いていたのは勿論分かっていた。そこまで馬鹿ではない。それを踏まえて今年は兵助が気を使ってくれたのだろうが、それでも俺はこの選択肢以外を選ぶことはできなかった。
記憶はなくとも三郎は三郎で、前世と今生を分けて考えることなどできず、俺はどうしても彼が欲しくてたまらなかった。心の底からの友人に、なることはできない。だからこれ以上踏み出せない、踏み出してはいけないのだ。

もう幾度目になるのかも分からない自戒を心中で唱え、俺は勢いよく息を吐き出した。
視界に再び問題の小箱を留めて、三郎は明日箱の中身を見てどんな残念な反応をしてくれるだろうかと考えた。そこで、本当は彼の反応に楽しみを覚えてなどいない癖に無意識にそんなことを考えた自分に気が付いて、俺ってどんだけ怖がりなんだよとひとり自嘲の笑みが漏れた。
乱暴に小箱を引っ掴んで鞄に放り込む。殺すことなく苦い笑みを浮かべたまま、俺は自分の鬱陶しい感傷から目を逸らすように無造作に鞄のチャックを閉じた。

贈り物はで飾って

[ 次→ ]


[2018/08/16]

2018年の書初めで殴り書きした転生鉢尾パロの焼き直し。鉢尾の日に間に合わせようと思ったけど…通常運転ながら間に合わなかった…(苦笑)
転生大好きなんですけど、設定だけ書いてて形にできていなかったものばっかりで、去年の『夢に咲いたは~』の原稿中の脱線の産物を書初めにどうだろうと思い、ぷらいべったーに書きなぐったシロモノが元でした(説明が長い)。
一人称視点難しいですね。初めて兵助目線で書きました。楽しかった。
続編まで仕上げて鉢尾の日!と思ったので近々続き上げます。

[ ][ ]