贈り物は期待を纏って //落乱-鉢尾小説 万年時計のまわる音

「なんでそれ、使ってんの?」

そう一言、軽い調子で訊いてしまえば済む話だ。
何故そんなことを訊くのかなんてきっと思わないだろうし、大した理由があるはずもないのだから。
そうは思っても、口は思い通りには動いてくれなかった。いや、自分の本心に従順だからこそ、その問いが音になって出ていくことはなかった。

俺はまったく、どうしようもない臆病者だ。

***

「お、邪魔しまーす…」

遠慮のえの字もなく進む背を追って玄関に足を踏み入れつつ、勘右衛門は奥に向かって控えめに声をかけた。しかし呼びかけに答える声はない。
足元に目を落とせば、今しがた雑に脱ぎ捨てられた小汚いズック。そのまま視点を横にスライドさせると、隅に揃えて置かれた革靴が視界に入った。
手入れが行き届いたその革靴は、この狭くも小綺麗な玄関に当然といった趣で鎮座している。よく見知ったそれを、勘右衛門は感慨深い思いでぼんやりと眺めた。

本日、俺は初めて三郎の家を訪れていた。ハチに、俺と三郎と三人で履修している講義の課題を一緒にやろうと誘われたからだ。

大学に入学して早一年と数か月。俺たち五人は、まるで前世をなぞるかのように自然と行動を共にするようになっていた。毎日のように顔を合わせ、課題と格闘したり遊びに出かけたり、取り留めもない話をして笑ったり怒ったり。そうして日々を共に過ごしているうちに、気が付けば大学からの付き合いだとは思えないほど親しくなっていたのである。

密に付き合っていればこそ、互いの生活基盤についてもある程度は把握するようになる。当然俺も、三郎がひとり暮らしをしていることも、彼の最寄駅が俺の通学路上にあることも知っている。
けれど俺はこれまで三郎の家に来たことはなかったし、これから先も訪れることはないと思っていた。
断っておくが、三郎に来るなと言われているわけではない。三郎とは仲が悪いというわけでも、三郎のことが嫌いなわけでもない。
ただ俺が、三郎の家に行く用事を意図的にすっぽかし続けているだけだ。

俺が三郎の家に寄り付かないのは、俺が三郎に対して並々ならぬ執着心を抱いているからだ。
その執着は、一般的に異性に対して抱くべき類の感情から生じている。もしもこの不適切な感情が露呈してしまったら、三郎は俺のことを嫌悪するだろう。普通そうだし、俺だって友達だと思っていたやつからそんな風に見られていたと知ったら、あまりいい気持ちはしないと思う。

三郎に嫌悪を宿した目を向けられることが、俺は心底恐ろしかった。
それ以上に、時代を超えた五人の絆を壊してしまうことだけは死んでも回避したかった。
前世でも大切な仲間だった彼らは、今生においてもかけがえのない友人だ。三郎が俺に嫌悪感を抱いたら、五人で過ごす安穏とした時間は二度と訪れないだろう。例え集まることはできても、俺と三郎の間に居心地の悪さが残るのは間違いない。居心地の悪さは周りに伝染する。

この空気が崩れてしまう前に俺が彼らの許を去ればいいかと言えば、残念ながら意味は無いだろう。どのような理由であれ、今までいたはずの人間がいなくなれば、彼らの心にはしこりが残ってしまう。前世から変わらず仲間思いのやつばかりだから。
それ以前に俺自身、彼らと縁を切ることなんてできる気がしないが。彼らのいない人生なんて俺には考えられない。
この愛おしむべき屈託のない関係が、俺のせいで壊れてしまうなんてことは絶対にあってはならない。そんな事態に陥る危険性は、俺がただ友情だけを胸に抱いてさえいればゼロになるのだ。

こんな感情はない方がいい、そんなことは分かっている。そうできれば苦労はない。
まだ再会できてもいない頃からこの感情に振り回されてきたし、未だに振り回されている。悪いことに、再会したがために悪化しているようにすら思う。俺自身困り果てているのだが、どうあがいても消えてはくれなかった。

消せないなら隠すしかない。しかし隠すと言っても、今の俺は忍者の教育だって受けていない、ごく普通の男子大学生だ。不自然にならないよう取り繕うのが精一杯で、好きな奴に対しても他の四人と同じに接するなんて到底無理だ。
それならどうするか。答えは一つ、なるべく接点を減らすこと。三郎との距離を、一定以上に保ち続けるしかない。

三郎の家に近付かない理由は、距離を置くための他にもう一つある。不適切な感情をひた隠しにしている俺が、三郎の私室に入るのは気が咎めたからだ。
割と繊細な三郎は、他人に自分の領分を侵されるのをあまり好まない。そんな彼が信頼して迎え入れてくれるのに、俺は彼に秘密を抱えている。しかもそれは、彼が嫌悪するようなものだ。彼に対する裏切りだとしか思えなくて、後ろめたかったのだ。

そういう背景があって、他の誰かの家に行くことはあっても三郎の家にだけは絶対に近寄らずに来たのだ。
たとえその予定が、俺以外全員が揃っていてとっても魅力的な内容でも、それがどんなにうらやましくても。それを我慢するだけで彼らを失わずに済むのなら、安いものじゃないか。そう言い聞かせて。
この感情に纏わる俺の苦しみは、前世で大事な仲間に不適切な感情を抱いた俺への罰の一部なのかもしれない。前世の自分の尻拭いかと思うと迷惑な話だとは思う。けれど、五人で居られる幸福感は何物にも代えがたい。それを手放すくらいなら、俺は前世の償いをしながら彼らと共にある、今の人生を選ぶ。

昔から三郎は身内に甘く面倒見がいい。だからハチの課題のことは三郎がいれば問題ない。
俺が毎度失踪していることに気づいていないのか、今回もハチは当然のように俺もメンバーに数えてくれていた。その気持ちは本当に嬉しいのだが、俺は今回も適当な理由を付けてすっぽかそうと思っていたわけである。

そんな重大な背景がありながら、なぜ俺は今三郎の家に居るのか。
端的に言えば、良心の呵責に勝てなかったせいだ。――……というのはほぼ100%建前だ。ただ俺が、自身の欲求に勝てない腑抜けだった、というだけの話だ。

「あ、そうだ」

それは昨日、大学からの帰り道でのこと。
三郎の最寄り駅が近づき減速していく電車の中で、隣から不意に声があがった。つられて目を遣ったが、三郎は窓の外を流れゆくオレンジ色に染まった景色を眺めている。その顔は、あの頃とは違って正真正銘彼自身の顔である。

「お前、俺んち知らんだろ。明日はハチと一緒に来いな」
「っあ、うん」

そのままついボーっと横顔を眺めていたら、思いがけない話題を振られて一瞬声が詰まった。なんとか取り繕いギリギリ自然と思われる範囲で反応を返す。しかし思考回路が繋がるのに時間がかかった結果、つい頷いてしまった。

(そっか、課題やるのって明日だったっけ)

そもそも行く気がなかったため頭から完全にすっぽ抜けていた。一瞬後悔したが、考え直しても適切な返答など思い浮かばなかったので悩むのを辞める。まあいつものように夜にでも、ハチに欠席のメールを送っておけばいいだろう。
そう結論付け、内心安堵して目線を上げる。するといつの間にかこちらを向いていた三郎と目が合った。なんだか距離が近い、気がする。その上黙ったままじっと見られているものだから、さすがに少したじろいだ。

「え、……な、なに…?」
「――いや、別に」

率直に尋ねてみたが、三郎は暫く俺を見続けた後、それだけ言ってようやく視線を逸らした。
いや何もないことないだろどこをどう見ても。そう思ったが、直前の話題を考えると言及したら藪蛇になるかもしれないという不安に駆られ、結局何も言えなかった。
めちゃくちゃ見られてたし俺が関係している可能性が高そうだが、一体なんだったんだろう。問うのを辞めておきながら、考えても分かるはずもないことをついぐるぐると考えてしまう。

「俺んちまでの道、分かり難いから。なんだかんだお前俺んちには一回も来たことないだろ。ハチは完璧だから一緒に来い。13時に東口な」
「えっ?あっ、うん」

(ま、またやってしまった……)

俺は内心で頭を抱えた。脳内迷宮を彷徨っていた所に、淡々とかつ一方的に話され脳内処理が追い付かなかった。それ以上に、一度も三郎の家に行ったことがない点に言及されて、少々動転していたのも大きい。
だがまあ、夜になったら急用ができたことにして断ればいいか。リカバリはいくらでも利くだろう。
そう判断してなんとか立ち直る。しかしその状態を保持していられたのは一瞬だけだった。

三郎へ視線を戻した瞬間、俺の脳みそは完全にフリーズした。だって三郎が、今まで見たこともないような柔い微笑みを湛えてこちらを見ていたのだ。思いがけない魅力的な表情に出くわし、俺は驚きと衝撃を殺すこともできず、瞠目してただ三郎の顔を見つめた。
しかし一瞬の後には三郎は顔を伏せてしまった。表情が見えなくなると同時に、小さくため息のような音が耳に届いた。

「明日はサボんなよ?じゃ、また明日」

気が付くと、三郎はいつも通りの真顔に戻っていた。言いながら俺の頭を軽く小突くなり、計ったように開いた乗降口から電車を降りて行ってしまった。いつも通り、一度も振り返ることなくスタスタと歩み去る。
俺は脳停止状態から抜け出せないままに、小突かれた額に手を添えつつただ呆然とそれを見送った。
衝撃が大きかったらしく脳みそはなかなか蘇生せず、壊れたビデオデッキのようにあの顔が何度も再生され続けた。俺はボーっとしたまま、いつもより時間をかけて家に帰り付いた。

家に辿り着いて一息入れたところで、ようやく脳みそが息を吹き返して来た。あれはなんだったんだろう、幻かなにかだったのだろうかと考えながら、鞄から荷物を取り出していく。

携帯を充電しようと手に取って、LEDがピカピカ光っているのに気が付いた。俺は時代遅れのガラケーを未だに愛用している。そのお知らせランプが水色に点滅して、新着メールがあることを示している。
なんとなく嫌な予感を覚えつつ、メールフォルダを開く。新規メールが二通届いていて、新しい方の差出人はハチだった。メールのタイトルは『Re:明日』。返信ということは、起点となるメールが先にあるはずだ。
そう思って先に届いている方を見る。差出人は三郎で、メールのタイトルは『明日』。嫌な予感は確信に変わった。
どんな風に開こうが、届いている事実も記載された文面も変わりはしないのだが、どうか杞憂でありますようにと天に祈りながら、恐る恐る三郎からのメールを開封する。

『明日は13時に東口集合で。ハチは勘右衛門と一緒に来るように』

残念ながら杞憂ではなかった。さっき別れた時点の三郎の様子とタイトルを鑑みれば、杞憂であるはずがないので当たり前だ。一応ハチからの方も開封すると『了解!』とだけ書かれている。
これで、ハチにだけ送ろうと思っていた欠席の連絡はこのメールに返信する他なくなった。三郎にはさっき釘を刺されたばかりだ、滅多な理由では回避できない。さてどうするか。

いくつかシミュレートしたが、もう明朝に体調不良になることしか思いつかなかった。だが元気だけが取り柄みたいな俺だと信憑性が低いし、信じてくれたら今度は二人が見舞いに来ると言い出すかもしれない。
俺は皆を自分の家に呼んだことは無い。俺が実家暮らしで、大学からは割と距離があるのも理由の一つだが、三郎が来ると困るからそういう話をしたことは無い。
しかし奴らは俺と同様実家暮らしの兵助の家に、俺の案内で見舞いに来たことがある。俺の家の方が一駅近いので、予定を変更してやって来る可能性は十分にあった。兵助と行き来があることは知られているので、家に上げられないというのも難しい。

検討を重ねた末、俺は兵助が体調を崩しSOSを貰った、という体で行くことにしようと決意する。兵助が遠慮して欲しいと言っていると伝えれば、二人が見舞いに来ることもない。
俺は兵助にさえも、この抱えた感情を打ち明けたことは無かった。しかし前世の記憶がある点も含め、既に察されているのは分かっている。兵助は昔から聡明で優しい。俺には勿体ない親友だ。
だからいっそこの機会に全部話して、味方になって貰えばいいのではないか。本当は迷惑をかけるのは嫌なのだが、もうそれ以外にいい手が思いつかない。
心を定めると、早速兵助と作戦会議をしようと急ぎ電話帳を呼び出した。

その時、新しいメールが届いた。差出人は三郎だ。
丁度操作していたため、意図せずボタンを押してしまい画面上に文面が展開される。

『一応地図も送っとく。あと、去年野村教授の統計学Ⅱ履修してたよな?週明けに小テストがあるんだ。ノートと過去問貸してくれると助かる』

添付ファイルを開いてみれば、画面上に地図画像が現れる。ご丁寧に経路が赤線で引かれていた。
画像を閉じて文面をもう一度読む。週明け、ということは土日、すなわち明日と明後日しか時間がないではないか。
三郎が他人のノートを必要としているなんて、相当自信がないのだとしか思えない。確かに野村教授の講義はいい評価を取るのが難しく、俺も去年は先輩に過去問やノートを借りてなんとかA評価だったのだ。
明日俺が貸してやらねば、週明けの小テストが大惨事になってしまうかもしれない。この状況で、嘘をついてドタキャンすることなど、俺にはどうしてもできなかった。

結果、俺は何度も逡巡した挙句『了解』とだけ返信したのだった。
今回だけだから、三郎の為だからといくつも言い訳を重ねながら、禁じ続けてきた三郎宅訪問が実現することに俺は胸を躍らせていた。
その晩は早々に床に就いたが、俺はまるで遠足前日の小学生みたいになかなか眠りにつくことができなかった。

そんな訳で、俺は本日三郎の家に初めて足を踏み入れることとなったのだ。
三郎の家に行ける口実ができて喜んでいる俺は、まさしく腑抜けだ。しかしここまで来たらもう後には引けない。淡々とやるべきことを遂行し、早々に退散するだけだ。ボロを出さぬよう、俺は気を引き締め直した。

(いっけね、ぼーっとしてる場合じゃなかったんだった)

はたと我に返り顔を上げたが、俺をここまで連れてきた案内人の姿は既にどこにもなかった。仕方なくひとり廊下に上がり、革靴とは反対の隅に自分の靴を揃えて置く。それから恐る恐る、家の奥へと足を進めた。

当然ながら廊下はごく短く、すぐに部屋の前へたどり着いた。俺は一度深呼吸をして気持ちを整えてから、やや緊張気味に部屋の中を覗き込んだ。
しかしそこには、何故か我が物顔でベッドに寝転がっているハチしかいなかった。何の気兼ねもせず全力でだらけている。実はこの家が彼のものなのではと疑うほどのくつろぎようだ。
室内を見渡しても、真の家主であるはずの三郎の姿はない。意外と繊細な三郎の私室に、勝手に足を踏み入れていいものだろうか。俺は取るべき行動を迷い、その場から動けなくなった。

「何遠慮してんだよ勘ちゃん、たかが三郎んちくらいで。早く入れよ」
「たかがってどういうことだアホハチ。大体お前は寛ぎ過ぎなんだ、もっと遠慮しろ」

ベッドに寝転んだまま呆れ半分に俺を笑ったハチに、釘をさすようにつっけんどんな声が即、背後から飛んだ。驚いて振り返ると、いつの間に現れたのか三郎が立っていた。手にはマグカップと菓子の乗った盆がある。
ハチを半眼で睨めつけていた三郎は、俺と目が合うや、入れば、とでも言うように真顔のまま顎をしゃくってみせた。俺はそれになんとか小さく頷き返すと、横をすり抜けていく三郎を追ってようやく室内へと踏み入った。

三郎の部屋は黒白茶を基調としてシンプルに整えられ、落ち着いた空間になっていた。
身の置き場に迷った俺は、取り敢えず部屋中央のローテーブルに備えられた座布団の一つに腰を落ち着けた。整然とした雰囲気が三郎らしく思え、勝手に気分が高する。物珍しい気持ちでキョロキョロと室内を見渡した。

「ほれ、珈琲」

声と同時にコト、と硬い音がした。恐らく三郎がマグカップをテーブルに置いたのだろうが、俺は室内を眺めるので忙しくそれどころではない。
一方で、ベッドに寝転がっていたハチが視界の端で勢いよく起き上がる。

「うっそ三郎が茶ァ出してくれるとか何事…?!いつも水すら出してくんないのに!」
「基本お前は客じゃないからなあ、招いてないし」
「えちょ、ひど!確かに勝手に来てるけどさ!?ねえちょっと勘ちゃんいまの聞いた?!酷くね?!」
「やーでも確かに、ハチは寛ぎ過ぎな気はするけどな?ここハチんちだっけ?ってさっき思ったもん、俺」

急に話を振ってきたハチを一瞥はしたものの、俺は深く考えずに返事をして即室内に目を戻した。三郎の部屋に入れる貴重な機会を得た今の俺は忙しいのだ。ハチのしょうもない訴えなど気にしていられない。
雑な対応をした俺に、ハチはしかし気にした風もなくただ乾いた笑い声をあげた。

「ははははーいやあ、三郎んちって大学から近いし居心地いいからさあ」
「笑って誤魔化そうとするな。大体お前の家、大学挟んで反対方向だろうが。真っすぐ帰れよ迷惑な」
「迷惑って!傷つくなあ、もっとビブラートに包んで!」
「それを言うならオブラートだろ」

コントのように続いていく二人の低レベルな言い争いを尻目に、俺はただぼんやりと室内を眺め続けた。
自戒して訪れて来なかったが、好きな人の私室に入れるのは当然この上ないほどに嬉しいことだ。
ハンガーラックには三郎が愛用しているジャケットが掛かっているし、壁際のデスクには板書用の眼鏡が置かれている。見たことのある三郎の私物を見つけては、実感と喜びがこみ上げて来る。
三郎の気配が散りばめられた空間にいるだけで、俺はとても満たされた気持ちになった。

「ぶっは!なんだこの柄!?」

突如上がった大きな笑い声が、俺の夢のように幸せな時間を引き裂いた。
あまりの声量に驚いた俺は思わず目を遣って、爆笑しているハチの視線の先にある物を認め瞠目した。そのままそれに釘付けになる。

「ほら、勘ちゃんも見てみ?これマジですごい柄なんだけど!」

俺の視線に気づいたハチが笑いながら差し出してくるそれを、茫然としたまま受け取る。

それは、この落ち着いた部屋とはひどく不釣り合いな、取っ散らかった絵が描かれたマグカップだった。
そう、俺があげた誕生日プレゼントだ。間違いようがない。
ハチはその日熱を出して休んでいたため、俺が贈った物だとは知らないのだ。継ぐ言葉のない俺に気づきもせずに、ハチは笑い続けながら三郎に声をかける。

「やっべ~、カッコつけの三郎がどうしたってんだ?趣味変わったんか?」

言い終えるや、ハチはベッドの上で腹を抱え笑い転げた。
妙な柄であることは認めるが、いささか笑いすぎじゃないだろうか。頭の端で僅かに不満を覚えたが、今の俺にそれをハチにぶつける余裕はない。手元にある珈琲のたっぷり入ったマグカップをただ呆然と眺めた。

まさか再びこれを目にする日が来ようとは。しかもこんなに早く、事実自分が贈ったそのものを、こんな形で。
こだわりの強い三郎がこんなものを使うことがあるなんて夢にも思わなかった。なればこそ現実だとは到底思えず、俺はただそれを見つめるしかできない。

「それは俺の。来客用はこっち」

不意に、視界の外から伸びてきた手にマグカップが抜き取られた。代わりに同じくらいの大きさのマグカップが空いた手の上に載せられる。
なんだかすごい言葉を耳にした気がしたが、俺の頭は既にポンコツになっていて、ただ攫われていくマグカップを目で追いかけることしかできない。ハチの笑い声が一層大きくなりいくらか言葉を発したようだったが、右から左へ通過するだけで言葉として認識できなかった。

問題のマグカップを抜き取ったその人が、悪趣味なそれに口を付ける。やや俯いた顔は前髪に隠れて表情がよく見えない。
脳停止したままの俺の耳に、ずずっと液体をすする音がやけにはっきりと届いた。一瞬遅れで香ばしい珈琲の香りがふわりと鼻孔をくすぐる。

「――……、なんだよ」

珈琲を啜る三郎に目を奪われていると、マグカップから口を離した三郎が居心地悪そうな顔でこちらを軽く睨んできた。その頬にはわずかに朱が差している。照れ隠しのようなぶっきらぼうな態度に、なぜだかどきんと心臓が跳ねる。

『それは俺の』

瞬間、先程はキャパオーバーで理解できなかった言葉が、実感を伴って俺の胸にじわじわと染み込んできた。加速していく鼓動がうるさい。
三郎が、俺の贈ったマグカップを使ってくれている。しかも自分用として。

(…――待て待て落ち着け、それは俺に都合がいい妄想だ。貰ったものを使うのは至って普通のことで、なにも特別なことじゃない)

急騰していく期待と逆上せかけた考えを、俺は脳内で否定した。
そうだとも、俺だって兵助やハチから貰ったプレゼントはありがたく使わせて貰っている。一応俺だって三郎の親しい友人に属せているはずなのだし、プレゼントを使うのは至って普通のことである。

(……ただ、こだわり屋なあの三郎が、あんな悪趣味なマグカップを、しかも自分用として使っている、という点を除いて、だが)

打ち消せたと思ったのに、否定した根拠を崩す疑問点が頭に浮かんでしまい、心臓がまた一つ大きく跳ねた。それを打ち消すことができないでいる間に、願望そのもののような『三郎が俺の贈ったマグカップを使っている理由』が頭の中でどんどん膨らんでいく。

そんなことが現実にあるわけがない、今すぐ葬り去らねば。
そうは思っても、都合のいい妄想は脳みそにこびりついてしまったかのように消えてくれない。冷静になろうとすればするほど鼓動は逆に加速する。
息苦しさを感じるくらいの激しさに、心臓が胸郭を突き破って外へ飛び出してしまうのではないかと心配になった。現実味がなさ過ぎて、暴れまわる自分の心臓がまるで他人のもののように感じられる。

依然として混乱状態にあるものの、取り急ぎ何かの反応を返さねば。俺は慌ててどう返事をすべきか考える。
三郎が俺の贈ったマグカップを使っている、という事実だけに着目して素直な感想を言うなら『めちゃくちゃ驚いたけど猛烈に嬉しい』だ。
けれど、先刻自分にも言い聞かせた通り、実用的な品物は普通使って貰う目的で贈るものだ。『何故使っているのか』などという疑問を贈った本人が持つはずはないし、驚くのは不自然だろう。ならば『嬉しい』だけ伝えればいいのだろうか。

ドラマの恋人同士の会話であれば『使ってくれて嬉しい♡』なんてセリフにお目にかかることはままあると思う。しかし同性の友人のセリフとしては、セーフなのか、アウトなのか。
胸に秘めた不適切な感情が邪魔で、どう反応するのが正解なのか俺には咄嗟に判断できなかった。

「………ううん、なんでもない」

迷いに迷った挙句、俺はお茶を濁すことにした。何も変えないこと、それが最も安全で適切な選択肢だと思ったのだ。

だが、プレゼントを使ってくれていることに対する喜び、そしてその裏に隠れているように見えてしまう俺に都合のいい可能性への期待。どちらも強烈過ぎて、打ち消すことができない。
依然として心臓は暴れ狂っているし、そのせいだろうか頬に熱が集まりつつある気がする。口角が俺の意思を無視して勝手に持ち上がっていくのが分かる。

俺はその不自然にニヤついた表情を、顔を伏せることで隠した。ついでに意思に従ってくれない口元を誤魔化そうと、先ほど手渡されたマグカップに口を付ける。
温かい液体を口に含むと程よい苦みと酸味が広がり、少しだけ気分が落ち着いた。

打ち消しても打ち消してもよみがえってくる期待が、じわじわと脳を侵す。俺は若干の後ろめたい気持ちを抱きながらも幸福感を噛み締めて、三郎が淹れてくれた珈琲をゆっくりと味わった。

贈り物は期待をって

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[2019/01/27]

ハイ!すぐ上げるとか言っておきながら半年近く時間が経ってしまいました!するする詐欺、通常運転ですね本当すいません!!
贈り物は嘘で飾っての続きです。
相変わらず遅筆&遅筆で…せっかく読みに来てくださっている方がいらっしゃるのに、有言不実行ばっかりで不甲斐ないです…。
慣れない一人称、難しかったけど今回は割合好き勝手に楽しく書けたかなと思います。勘右衛門視点での続きでした。まだ続きます(あれ?)
今度こそ、近いうちに上げ…られ……うーん、まだ全然形になってないし原稿もある…ので、頑張ります!!とだけ言っておきます(おいこら

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