贈り物は真実を説く //落乱-鉢尾小説 万年時計のまわる音

「………ううん、なんでもない」

元々丸い目をさらに丸くしてこちらを凝視していた勘右衛門が、それだけ言って顔を伏せた。そのまま珈琲に口を付ける。
マグカップでやや隠れたその口元が、柔らかく弧を描いているのがなんとなく分かった。自分の口角が勝手に持ち上がってしまうのを、三郎は勘右衛門に倣って珈琲に口を付けることで誤魔化した。

なんでもない、などと言いつつも明らかに嬉しげにしている勘右衛門を横目で盗み見た。じわじわと広がる期待に胸が高鳴る。
口の中に広がる温かな珈琲の苦みと鼻を抜ける豊かな香り。その親しんだ心地よささが、何とも言えない幸せな気分を一層膨らませる。

「――…お前、元々そういう趣味だったっけ……?」

幸福感を噛みしめていると、唐突に困惑した声が上がった。
声の方を伺い見れば、眉尻を下げたハチと目が合う。その様はまるで置いていかれた飼い犬のようだ。浮かれるあまりに構ってやらなかった自分が100%悪いのだが、哀れそうなハチの様子がなんともおかしくて思わず吹き出してしまう。

「これ、勘右衛門からの今年の誕生日プレゼントなんだ」
「えっ?!そうだったのか!?」

笑いながら事実だけを口にすると、ハチが弾かれたように勘右衛門を顧みた。
矛先を向けられた勘右衛門は居心地悪そうに笑いながら頬を掻く。

「あぁ、うん。実は…そうなんだ」
「なんだよ、早く言えよ!超大笑いしちゃったじゃん!」
「大笑いしてるから言い難かったんだろ察しろ!てか笑い過ぎじゃね?!」

ばつが悪いのか照れているのか、勘右衛門はやや顔を赤らめつつ文句を言うハチに噛みついた。その様子を俺は微笑ましい気持ちで眺める。
さっきまで固い雰囲気を纏っていたが、多少は緊張がほぐれたようだ。表情から硬さの取れた勘右衛門に安堵して、マグカップの存在に言及してくれた上に大笑いしてくれたハチに胸の内だけで感謝を捧げる。

「いーやその柄はやばい。マジ意味わからん。三郎が使ってるのも意味わからん」

だが何を思ったのかハチは今度は唐突に話題をこちらへ振ってきた。思いもよらない変化球を受けて慌てる。
ハチの態度は至っていつも通りで、特に深い意味はないらしい。だからこそ余計に厄介でもあった。つい先ほどまで捧げていた感謝などさっさと打ち捨て、弄るのは勘右衛門までで終わっとけよ、などと胸の内だけで恨み言を垂れる。

このマグカップを愛用している理由を、正直に答えるのはかなりギリギリな気がする。ハチの言う通り、デザイン自体は全く好みではないのだ。
友人から貰ったから、はなくはない理由だろうとは思うが自分のキャラではない。けれど他に妥当と思える理由など思いつくはずもない。
やむを得ず、勘右衛門が見せた好意的と取れる反応に賭けることにした。最悪でも、居心地悪そうに笑われるくらいで済めばいいのだが。心臓よ落ち着けと脳内で唱えつつ息を深めに吸い込んだ。

「貰って嬉しかったからに決まってんだろ悪いか」

口上を述べるかの如く、早口でまくし立てた。
確かに腹は括ったのだが、緊張のあまりに逆ギレみたいな発言になってしまった。それを取り繕う余裕もなく、恐怖に俯きそうになる。弱気な己を叱咤して顔を上げた。
視界に留めた二人は、ぱちくりと瞬きをする以外全ての動きを停止してこちらを眺めている。一瞬、沈黙が下りた。

「うわ三郎がデレた!?なにそれきもい!!」
「んだとアホハチもっぺん言ってみろコラ!!」

直後、大仰なリアクションを見せたのはハチだった。失礼なことを叫びつつ半笑いの顔で距離を取ろうとする。
失礼な発言に掴みかかった。気恥ずかしさ、恐怖心を誤魔化したくて思ったより大きな声が出た。それでも爆笑を治めることもなくキモイキモイと繰り返すハチを、雑にとっちめる。
腕を回して首を締め上げつつ、俺は横目で今なお静かな勘右衛門の様子を恐々伺った。

未だ同じ姿勢のままの勘右衛門は、黒目だけを忙しなく泳がせていた。加えて唇をむにゅむにゅと歪ませている様子は、笑みを作るのを堪えているように見える。耳がほんのり赤くなっているのも踏まえ、動揺と興奮をどうにか鎮めようとしているかのようだ。
その姿に、取り敢えず嫌悪の類はないことを認めて安堵した。同時に、急激に膨らんでいく喜びを噛みしめるように、ハチをとっちめる腕に力を込める。
そして、ここには居ない相棒に心の底から感謝した。

「……お前、馬鹿なの?」

それは数カ月前、俺が二十歳を迎えた数日後のこと。久しぶりに俺の家を訪れた雷蔵が放った第一声がそれだった。
俺と雷蔵はいわゆる竹馬の友で、家族同然の間柄だ。故に彼はよく俺の部屋に来ていたし、なんなら合鍵も渡していた。彼が突然室内に現れたのはそういうわけだった。
その時俺は丁度大切なものを保管している箱――つまり宝箱のようなものだ――を整理しつつ、その中身を眺め悦に入っているところだった。

「やあ雷蔵。来て早々馬鹿だなんてひどいじゃないか」

挨拶もなしに罵倒されたことに軽く抗議をしながら顔を上げると、雷蔵は箱の中身に視線を固定したままでその場に突っ立っていた。その顔は眉間にしわの寄った酷い表情である。

「……えーと、……雷蔵?……どうした?」
「そこにあるの、勘ちゃんからもらったプレゼントだよね?」

微動だにしない雷蔵に困惑して恐る恐る声をかけると、彼はその視線の先にあるものをビシリと力強く指さした。
彼が指示したのは確かに、勘右衛門から貰ったマグカップの収まっている箱だった。それを受け取った時、雷蔵も同じ場にいたはずで今更何故そんなことを聞くのかと首をひねる。

「そうだけど?」
「念のため聞くけど、それは空箱なんだよね?」
「いや?マグカップが入ってるけど」
「は?」

当たり前じゃないか、という気持ちでごく自然に返事をしたら、ドスの効いた声音でつっけんどんに聞き返された。完全なる真顔だが背後に般若が見える。
何故唐突に自分が責められる流れになったのか全く分からないが、お怒りらしい雷蔵の迫力に圧倒される。普段温厚な彼の怒りがとても恐ろしいのは、これまでの付き合いの中で嫌と言う程よく知っている。

「……あの、雷蔵さん……?」

素直に戸惑いを表しつつ問うと、雷蔵はようやく般若を引っ込めて大仰なため息をついた。呆れたように頭を振っている。
勘右衛門からの貰いものを大事に仕舞っていただけで何故怒られた挙句に呆れられなければならないのか、俺は少し不満に思った。

「あのねえ。貰ったのはマグカップ、実用品だろ。実用品は使ってナンボだろ」
「使ったら割っちゃうかもしれないだろ」
「そんなこと言ってたら永久に使えないじゃないか!!」
「永久に手元にあって眺められたらそれでいい」

苛立ったように声を荒げつつも言い諭すような言葉を紡ぐ雷蔵に、あくまでも冷静に自分の考えを述べて反論する。
雷蔵ならわかってくれる、そう思っての返答だった。

俺の他には雷蔵ただ一人が知ることだが、俺は勘右衛門のことが好きだ。勿論、取り立てて言うからにはそういう意味で。
勘右衛門とは大学の一般教養の講義で出会った。雷蔵とは以前からの知り合いだったらしいが、詳しいことは知らない。
ただ、俺はその事実を知る少し前に彼の存在を知っていた。その講義が始まる前に、やや離れた席から自分に向けられる視線があった。

俺と雷蔵は遠縁の親戚だが、双子かと思うほどよく似ている。だから一緒にいると、見知らぬ奴に物珍しそうに見られることはよくあった。
雷蔵は全然気にならないようだったが俺は他人の視線に敏感で、普段から不愉快な気持ちを露骨に表情に出す方だった。

だから最初、そういう類の視線だと思った。それでいつものようにそいつを睨みつけ、不愉快極まりない視線を外させてやろうと目を遣ったのだ。しかし向けられた目に宿る感情はそういった好奇の類とは、どうも異なる様だった。隣の雷蔵と見比べたり迷ったりする様子もなく、ただ俺だけを真っすぐに見ていたのだ。
初めて出くわした思いがけない状況に驚いて、俺は咄嗟に顔を背けた。混乱を沈めるように小さく息を吐き出してからこっそりと伺い見るも、やはりその目は俺だけをじっと見つめている。その瞳が、不明瞭な感情を湛えて頼りなげに揺れているように見え、不快感を覚えるどころかただ心奪われた。

以前どこかで会っただろうか。顔を覚えるのは得意な方なのだが、とんと心当たりはない。
お前は誰で、どうしてそんな目で俺のことを見るんだ?今何を考えていて、どんな思いを抱えているんだ?――疑問だけがたまっていく。

しかし彼が隣にいた男――兵助のことだ――に声をかけられ、その瞳は逸らされた。視線が外れたことに俺は息をついたのだが、安堵した反面なんだかもやもやした。
その後間を置かずに講義が始まったが、その間中、あの黒い瞳が頭から離れなかった。けれど彼は後方の席に座っていて様子を伺うこともできず、悶々とするしかなかった。
どうしてか分からないが、このままにしておけるとも思えない。如何ともし難くて、講義が終わったらこちらから声をかけてみようか、しかしなんと声をかければいいのか…、など考え込む羽目になった。結局、講義の内容など一単語すら頭に入ってこなかった。

そんな風に考え込んでいたために、講義が終わった事にも気づかなかった。ハチに声を掛けられてハッとして思わず振り返るが、そこに彼の姿はもうなかった。
落胆しつつ荷物を片付けていると、雷蔵の名を呼ぶ聴き慣れない声がした。興味を惹かれて顔を上げると、驚いたことにあの不思議な目をした男がそこにいた。
正確には兵助が雷蔵に声をかけていた。彼を含めた三人で話をし始めたので、俺はハチと遠巻きにその様子を眺める。
暫し眺めていると、彼は俺たちの視線に気づいたらしかった。三人の輪から抜け出して、こちらへ歩み寄って来る。俺は動揺に揺れる心臓をなんとか落ち着かせながら、平静を装って彼を迎え打った。しかし、彼は朗らかに笑いながら自己紹介をしてきたのだった。
その声音は拍子抜けするほどに明るく、元気そのものだった。勘右衛門の様子に、さっきの表情は幻だったのではと思った。
しかしあの時点では既に俺の脳裡には、今にも泣きだしそうな、それでいて嬉しそうな、その癖何かを恐れているように震えるあの瞳がこびりついて離れなくなっていた。

その日から俺たちと行動をよく共にするようになった勘右衛門は、頭がよく発想力に富んだ男だった。根は真面目な癖にいたずらも好み、くるくると表情を変える。不思議と馬が合い、勘右衛門と過ごす時間は俺にとってとても嬉しい時間になっていった。
だが彼は時々、ふとした瞬間にその瞳に昏い色を宿していることがあった。本当に一瞬のことで未だに尋ねることもできずにいるが、初対面で焼き付いたあの表情がリフレインして気にかかって仕方がなかった。
そんな風に気にかけている内に、俺はいつの間にか勘右衛門に夢中になっていたのだ。

まだ自覚がなく、勘右衛門に対してだけ挙動不審になっていた折、雷蔵に指摘されて初めて自分の気持ちに気が付いた。
同性に好かれるなんて正直気持ち悪いだろう。だからこそ他の誰にも話したことはなく、雷蔵だけが知っている。
俺はひっそりと勘右衛門を想い、彼の傍に居られることを嬉しく思うだけに留めるよう努め、安寧の日々を過ごしていた。

しかし欲深い俺には、想いを秘めることは許容できても、勘右衛門との間に横たわる溝の存在には我慢ならなかった。
親しくなって一年が経ったが、同じタイミングで友達になった兵助と比べても彼との間にはなんとなく距離があるのだ。せめて友人としては誰よりも、兵助よりも親しくなりたいとすら思っているのに、なかなか縮まらない距離がもどかしく願望と真逆な現状が不服でならなかった。

そんな折に迎えた二十歳の誕生日に、俺は彼からこのマグカップを貰ったのだ。
相変わらず謎なセンスだなという感想は残る代物ではあったが、昨年のどう見ても手抜きだろうものとは雲泥の差だ。ちゃんとしたプレゼントを貰えたのが嬉しくて、受け取った瞬間強烈過ぎる喜びが噴出しないよう抑えるのに苦労したほどだ。

当然、マグカップは宝物として大切に仕舞うことにした。また勘右衛門から何か貰えるなんてことがあるとは限らない、一生大事にしようと思っていたのだ。しかし。

「お前だったらどうなの、使ってくれてたら嬉しいだろ?!」

なんと雷蔵は、分かってくれるどころか俺を叱咤してマグカップの箱を取り上げたのだった。
俺は何とか大事な宝物を取り戻そうと手を伸ばしたが、雷蔵の動きは思った以上に機敏だった。俺の腕は虚しく空を切る。
何とか阻止しようとしたが、雷蔵は移動しながらマグカップを取り出して外箱を放り出し(勿論何とかキャッチした)、キッチンに向かってずんずん進んでいく。

「ちょ、っとッ、らいぞ…ッ!待っ――……あああああああ!!!!」

俺は雷蔵様の行いを阻むこともできず、情けない悲鳴を上げた。
大雑把な手つきでゴシゴシと洗われる宝物を、ヒヤヒヤしながら見ているしかなかった。

あの時は少しばかり絶望したし、ぶっちゃけ雷蔵を恨みもした。
が、日常的に使ってみると目に入る度に手渡してくれた時の勘右衛門の笑顔が思い出され気分が明るくなった。取扱には十分に気を付ける必要はあったが、これはこれで幸せだなと雷蔵への恨みがましい思いを少し改めたのだった。

そこにきて、あの勘右衛門の何とも言えない反応の数々だ。
最初、勘右衛門が酷く驚いた顔をしていたことには内心でダメージを負った。驚いたということは、俺が使わないだろうと思っていたということだ。
プレゼントに使わないだろうと思うような妙なものを選ぶのは、俺のことが嫌いだからなのでは、と思ったのだ。俺のことが嫌いなら、距離が一向に縮まらなかったことにも、勘右衛門が俺の部屋にだけは拠りつかなかったことにも合点がいく。

しかしその直後、勘右衛門は酷く嬉しそうな空気を醸し出している癖に『なんでもない』なんて誤魔化した。欲目かもしれないがなんとも愛らしい微笑みを乗せて。
その不自然な態度が逆にもしかして、という甘い期待を連れてきていた。いやいやそんな都合のいいことがある訳がないだろうと己に釘をさすが、それでもやはり嬉しそうにしている勘右衛門につい頬が緩んでしまうのだった。

雷蔵の半ば強引な勧めにより渋々使うことにしたのだったが、まさか俺がこのマグカップを使っているだけでこんなに勘右衛門が嬉しそうにしてくれるとは。少なくとも嫌われてはいないことは分かったし、淡い期待を持つことまでできた。それだけで充分に収穫であった。全て雷蔵様のおかげである。

ありがとう雷蔵…、と心の中で雷蔵にもう一度礼を言って、さらに一口珈琲を啜った。

贈り物は

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[2019/07/07]

ようやく描きたいところまで書けました。するする詐欺な上に中身がないのに無駄に長い…
贈り物は期待を纏っての続きです。
今回は鉢屋目線。お察しの通り、実は両片思いでした!って話です。記憶ない方が記憶ある方に絆される転生パロ、美味しいですよね…。
そして現パロ鉢屋君は繊細で面倒くさい子だといいなあと思っているので、、こんな感じになりました。笑
これからも暫くは付かず離れずの位置に居て、卒業してからくっつくのかな…なんて思っています。雷蔵も兵助もええいじれったい!って思っている感じ。
その間に貰ったものの数々を鉢屋君は包装からなにから全部取っていて、宝箱の中に勘右衛門のものだけが入った箱が収められるようになります。
そして後日、引っ越しか模様替えか…の時に勘右衛門に発見されるのとか可愛い!!!とか思ってます(思ってないで書けよ
どうやら室町の方が書きやすいみたいです。難しくてうんうん唸りながら書いてました。けど、一応萌えを形にできてよかったです。
楽しかった!!!!だらだらずるずる長々とお付き合い頂きありがとうございました。

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