絆され堕ちた、先は朱 //落乱-鉢尾小説 万年時計のまわる音

立秋を過ぎれば暦の上では既に秋だが、太陽は相変わらず高い位置から地面をじりじりと焦がしている。陽が遮られた屋内でさえ、熱せられた空気でうだるような暑さを誇っていた。

残暑の厳しいその日、勘右衛門は自室でひとり次の実習における作戦を練っていた。五年い組の生徒で協調しとある屋敷から巻物を盗み出す、というのが実習の内容である。多かれ少なかれ先生方による仕込みはあるのだろうが、内容だけ見れば実際の忍務とほぼ変わらない。

忍たまとして過ごす五度目の夏。この暑苦しい空気が失せ草木が実りの時期を迎えれば、最上級生はもう目前である。
実戦型実習となれば、評価如何によっては進級はおろか卒業後の進路にも影響してくるに決まっている。心してかかる必要があった。

しかし今はまだ、夏季休暇の真っ只中だ。上級生は自主鍛錬のため登校し始めている者もいるが、下級生の大半はギリギリまで実家で過ごす。故に閑散とした学園内は非常に静かで、常とは異なる雰囲気を纏っていた。
勘右衛門も数日前に登校したばかりである。ちなみに例年どおり実家でゆっくり過ごすと言っていた兵助はまだ登校してきていない。
そんな中で勘右衛門が今実習の準備に勤しんでいるのは、級友たちが登校してくる前に此度の忍務の内容を大まかにまとめておこうと思ったからだった。

実習は休み明け早々にも実施されると聞いている。級長である勘右衛門は休み前にその仔細を知らされていたが、級友たちにはまだ実習があること以外何も知らされていない。故に、皆が揃ったら早々に検討に入れるよう準備しておこうと思ったのだ。

また、皆で作戦を相談する前に、自分ならどのような策にするかを思案しておこうとも考えていた。
五年という長いようで短い間、互いに切磋琢磨してきた優秀な級友たちは、それぞれに経験や知識を得て成長してきた。十人十色とはよく言うが、得手不得手や思考、重きを置くことなど見解や判断は人の数だけ存在している。なればこそ、ひとりで検討した上で皆の意見を聴けば、それだけ気づきも多いのだ。

真っ先に情報を仕入れ動けるのは、級長を務めるが故の特権だ。思う存分利用するつもりも大いにある。だが得たものはなるべく皆に還元し、共により高みを目指せればいいと勘右衛門は思っている。

陽が天の最も高い位置で燦然と輝いているこの時間帯は、勤勉な農夫ですら休息を取っている。暑気に当てられ体調を崩す危険性を考慮すれば、身体を鍛えるべきタイミングではないことは自明の理だ。屋内で頭を使っていた方がずっと合理的である。
すべてを総合して、勘右衛門は数日前から今日のこの時間は実習の作戦を練ることに決めていたのだ。

「なあ」

屋敷の見取り図を前に考え込んでいた勘右衛門はしかし、呼びかけと同時に感じた背中への圧力に思わず瞑目してため息をついた。
声の主は隣の組の級長殿である。現在彼は文机に向かっている勘右衛門の背に自分の背中を預ける形で座していた。
同様の呼びかけを既に幾度か掛けられそのすべてを黙殺していたが、今回彼は呼びかけと同時に体重を掛けてきていた。故に潰されぬよう押し返す必要があり、結果意識を割かざるを得なかったのである。
何度無視しても懲りることなく妨害してくる彼に、さすがの勘右衛門も嘆息せざるを得なかった。

「あーもう、なんだよ鬱陶しいなあ!邪魔すんなよ!」
「鬱陶しいとはなんだ。折角の二人きりに構おうとしないなんて、薄情な恋人だな」

苛立ちも露わに首だけで背後を顧みれば、三郎は流れるように文句を垂れた。反省の色もなく尚ものし掛かってくる彼に、勘右衛門は不機嫌を隠すことなく眉を寄せる。

五年に上がる頃からだったか、なんやかやあって勘右衛門は三郎と付き合い始めた。つまり現在、世間一般に言われる恋人という関係にある。故に先の三郎の発言に嘘はないのだが、相手をしようとしない自分に当てこする目的で恋人という単語を口にしてくるのが大変腹立たしかった。
他人がいるところでは照れまくりおくびにも出さない癖に、二人きりになった途端に甘えた態度を取ってくる。おまけに押しが強いのだ。見事なまでの天邪鬼っぷりで、厄介なことこの上ない。
だが甘えられれば満更でもないと思ってしまうのだから、惚れた弱みとはいえなんとも憎たらしいことである。

三郎が登校してきたのは、勘右衛門の二、三日後だった。いつも一緒の雷蔵の姿はなく珍しい状況に尋ねれば、図書委員会の割合重要な仕事に呼ばれて行ったため別行動を取らざるを得なくなったのだという。想定の範囲内である答えに、勘右衛門は呆れ半分感心半分で納得した。休暇中の行動とその仔細さえも把握しているとは。雷蔵馬鹿もそこまで極めていれば感心せざるを得ない。

しかしながら、雷蔵がいないからといって当然そうに時間を割けとのたまうなど、自分勝手にも程があるだろうと勘右衛門は思う。別段雷蔵に嫉妬などしていないが、曲がりなりにも思い通じて付き合っている身である。三郎の相棒の代替品ではないのだ。恋人からのそんな扱いに不満を覚えるのは正当な権利だと思うし、彼の日頃の行いからしてもささやかで可愛いものだろう。
故に勘右衛門は自室に居座る恋人を放置し、当初から己が立てていた予定を優先させていたのだった。

「今日は元々実習の準備をするつもりだったんだ、勝手なこと言うな。大体こんなに暑いのに、くっついてくるなよ暑苦しい」

我が儘をいう三郎に冷静に文句をつけながら、作戦をさらさらと書き付けていく。己の苦言に彼が何の反応も示さないことも気に留めず黙々と筆を動かしていると、やがて背後から不満げに鼻を鳴らす音が聞こえた。同時に、背中に感じていた暑苦しさがようやく消える。

頑なに取り合おうとしない勘右衛門に、さすがの三郎も諦めがついたのだろう。不機嫌も露わに腰を上げそのまま部屋を出て行くに違いない。
しかし彼が自分から身を離してしまったこと、この後取るだろう行動のどちらもに、勘右衛門は若干の寂しさを覚えた。

熱せられた空気の中で感じる他人の体温など、暑苦しい以外の何物でもなく呈した苦言は本心だ。だが汗がしたたり落ちるような不愉快な状況下でも、恋人と触れあえるのはやはり嬉しい。
つまり勘右衛門が口にした文句は自分勝手な三郎に対する不満と、それでも触れあいを嬉しく思ってしまうことへの照れ隠しとで構成されていた。

三郎が自室に帰ってしまうのは、勘右衛門の望むところではない。だがそれでも文句を撤回して引き留め、彼の意に副うことをよしとはしない自分がいた。自分も大概へそ曲がりで天邪鬼だなと内心で自嘲する。

しかし三郎は、勘右衛門の想定通りの行動は取らなかった。紙上の文字を辿る勘右衛門の視界の端に、後方から腕が伸びてくる。両腕はそのまま勘右衛門の胴に巻き付いて、次いで右肩にずしりと重みが乗った。そのまま背後からぎゅっと抱きしめられる。
恋人の予想外かつ唐突な行動に、勘右衛門の鼓動が大きめに跳ねた。思わず思考と共に手が止まる。

「………………、」
「――え?……なんて?」

肩口に顔を埋めた三郎が、ぼそぼそと何事かを呟いた。咄嗟に聞き取り損ねた勘右衛門は、戸惑いながらも端的に問い返す。

「――……したい、」

今度は小さいながらもはっきりと耳に届いた。
直球で為された求めに勘右衛門はやや瞠目し、羞恥を覚えて視線を彷徨わせた。
目的語などなくとも状況や声音から、それが何を意味しているかなどさすがに分かる。厳密に言えば、分かるようにさせられてしまった。

勘右衛門は淡泊な方だと自覚しており、故にそれほど強烈に性的欲求を覚えたことはなかった。だから三郎と付き合い始めてからも、ただ一緒にいられるだけで十分満足していた。
しかし三郎はそうではなかったらしい。付き合いだして一月ほどしたある夜、今し方の囁きと似たようなことを言われ『何を?』なんて阿呆みたいに聞き返した結果、勘右衛門は半ば押し切られる形で彼に抱かれた。
初めて為されたその行為は戸惑いと多少の痛み、そして多大なる羞恥を勘右衛門にもたらした。それ以来、思った以上に熱心な彼と淡泊な自分との温度差のせいもあったかも知れないが、勘右衛門は三郎の求めに応じる形で時折彼を受け入れてきていたのである。

一切取り合おうとしなかったにも拘わらず唐突に求められたことには、羞恥は覚えつつも自分に対する好意が感じられるが故に僅かな喜びを覚えていた。だが今は、彼の求めに応じる気にはなれなかった。
抱かれる立場がどうしても嫌だとか、三郎を抱きたいという強い要望を持っているわけではもちろんない。行為自体に対しても、嫌悪というほどの強烈な負の感情は抱いていなかった。

だが勘右衛門とて男としての矜持はあるのだ。女のように抱かれることをそう簡単に、二つ返事で受け入れられるわけではない。実際、これまで彼の求めに応えてきたすべての褥の上で、勘右衛門はひとり葛藤し悩んだのだ。三郎がそれを理解しているかどうかは分からないが。
何より今は、雷蔵がいないからという理由で彼に自分の領分を侵されることへの不満が色濃く残ってもいた。故に三郎の意に副ってやろうという気持ちが微塵にも起きてこなかった。

「だからさ、俺今忙しいの。見えない?そういう気分じゃないし、大体まだ真っ昼間だぞ?」

故に勘右衛門は、三郎が立ち去ってしまう想像に沈んでいたことなどおくびにもださず、呆れた風に彼の求めを拒絶した。そのまま何食わぬ顔を装って中断させられていた作戦の検討を再開する。

しかし否の返答を受けてなお、三郎は勘右衛門の肩口に顔を埋めたまま動こうとしない。勘右衛門は背中を覆う体温を暑苦しいなと思いつつも、彼を無視して再び筆を動かし始めた。

勘右衛門が筆を紙の上に滑らせる、さらさらという音だけが聞こえている。
沈黙し勘右衛門を抱きしめたままじっとしていた三郎は、暫ししてその頭をぐりぐりと勘右衛門に擦りつけてきた。駄々をこねる幼子のような仕草に、勘右衛門は半ば呆れつつも愛おしさを覚えた。若干気持ちが揺れる。

だが今回ばかりは絆されてなるものかと、己の揺らぎすら黙殺した。頭の中で組み立てた作戦の仔細を書き連ねることに集中する。 さらに沈黙が下りて後、三郎がようやく勘右衛門の肩から顔を上げ深く息を吐き出した。

「――……、分かった……」

僅かに身を離した三郎が、それだけを小さく答えた。先刻までの構えよコールのようにしつこく求めてくるのかと思っていた勘右衛門は、なんだか肩透かしを食らったような気分に陥る。

(――お前の中の俺への欲求はその程度なのかよ)

勝手な不満を覚えた勘右衛門は、不機嫌を悟られないよう表情を意識的に繕った。燻る感情を胸中だけでねじ伏せながら、素知らぬふりで筆を動かし彼が離れるのを待つ。
しかし三郎はいつまで経っても行動を起こさない。勘右衛門の胴に回された両腕も解かれる気配はなかった。

不審に思い視線だけを向けると、三郎は眉を寄せたしかめ面で遠くの方を睨み付けていた。細められたその瞳の奥に、未だ熾火のような熱が揺れているのが窺える。

どうやら三郎は、生じた欲求を静めようと格闘しているらしい。彼が食い下がって来なかったのは別に欲求が強くなかったからではなく、ただ無理に行為を強いるつもりがなく、勘右衛門の意思を尊重しようとしていたからに過ぎなかったのだ。
しかし欲と懸命に戦っている一方で、腕を回した勘右衛門を放そうとはしない。それが三郎が自分に対して抱いている好意、そして未練の表れだと捉えた勘右衛門は、なんだか胸の辺りがぐっと締め付けられるような感覚に陥った。同時に、己がかつてないほど高揚していることを自覚する。

なんだか無性に、三郎を抱きしめ返し甘やかしたい衝動に駆られる。今までは女のように扱われることへの抵抗が先に立っていたが、現在勘右衛門の胸には愛しい彼の欲求を受け入れてやりたいという気持ちが強く生じていた。
端的に言うと、至極ムラムラする。

(――そうか、これが母性……!)

現在己に生じている強烈な愛おしさを、勘右衛門は本当はそうではないのだと分かっていながら見当違いな解釈をした。

付き合うに至っており身体も許しているのだ、三郎のことは以前から好きだ。しかしたった今、勘右衛門はもう一段階深く彼に堕ちた。
僅かながら自覚したその事実を、正視することができなかったのだ。引き返せなくなる、そんな危機感と焦燥を覚えていたが故に。恐らく既に手遅れだろうとも頭の片隅で理解していたが、それもまた正視できる余裕はなかった。

ただ、己の中に生じた欲にだけは正直になろうと決心する。

まったくもって腹立たしいことだが、本日の予定は三郎が自室を訪ねてきた時点で狂わされる運命にあったのだ。
腹を括った勘右衛門は、小さく息を吐いて筆を置いた。

己の身体に回された三郎の腕を叩いて緩めさせ身を捻る形で振り返ると、目を瞬かせてこちらを見ている彼の唇をおもむろに奪った。薄く開かれた唇から口内に侵入し、彼の舌や口蓋を舌先でくすぐる。
唐突な行動に瞠目して固まっている彼に溜飲を下げた勘右衛門は、そのまま体重を掛けて三郎を押し倒した。

上からのし掛かり舌を絡めて吸い上げる。深く合わせた唇を、しかし勘右衛門は我に返った三郎が仕掛けてくる寸前で放した。
唐突に始まって終わった口づけに呆けた様子でこちらを見上げてくる彼を、勘右衛門は至極良い気分で見下ろす。己の口周りに付着したどちらのものとも分からない唾液を、見せつけるようにして舌なめずりの要領で嘗め取った。

「……どうした、もう満足したのか?」

馬鹿にしたように笑って尋ねると、阿呆面をしていた三郎は瞬時に眉をつり上げ挑戦的な表情を形作った。薄色の瞳に宿っていた熾火が急速にその熱量を上げ、目の前で激しく燃え上がって行く。
唐突に勘右衛門の視界が回転する。次の瞬間には身体の位置が入れ替えられ床上に縫い止められていた。真上から見下ろしてくる彼の目はぎらぎらとした光を放っている。
欲を孕んだ強い視線で射貫かれて、勘右衛門は背筋がゾクゾクする感覚を覚え口角を上げた。

「こんなもんじゃ全然足りないに決まってるだろ。……後悔したいのか?」

不敵に笑う三郎の顔に、痛みを感じるほど激しく心臓が収縮した。彼の手が上衣を乱し肩衣の下から侵入してきて、勘右衛門の汗ばんだ肌の上を這い回る。

勘右衛門はこれからまた、三郎に食われるのだ。だが、ただ食われるのは性に合わない。胸中で暴れ回っている三郎に対する強烈な欲求のままに、むしろ逆に食ってやろうと強い意志を抱き息巻いた。
生来の負けん気に火が付いたためか、勘右衛門は初めて三郎との行為に対し積極的な気持ちになっていた。それでようやく、これまでの行為が彼にされるがままの一方的なものとなっていたが故に、なおのこと受け入れ難かったのだろうと理解する。

「単純なやつだな、まだ真っ昼間なんだからほどほどにしろよ」

勘右衛門は簡単に煽られてくれた三郎に呆れつつ、意地悪く笑って軽口を返す。それから彼の首に両腕を回して伸び上がり、その薄い唇に噛みつくようにして再び唇を重ねた。

絆され堕ちた、先は

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[2020/08/16]

鉢尾の日ということで、六ツ時にしては珍しく既に付き合っている前提の鉢尾の話です。
R18垢でちょっと呟いたんですが「したい」と「したくない」がかみ合わない時、鉢尾ならどういう反応するかな?というのが話の発端でした。
勘右衛門がしたくなくて三郎がしたい場合、多分三郎は無理強いはしないんじゃないかと。
で一生懸命我慢している三郎に、逆に勘右衛門が焚きつけられちゃう……みたいなのが美味しいかなって思いまして(作品外で説明するな
なんか後半迷走しちゃったんですけど、伝わってるかな?伝わってるといいな!!!!

エロじゃないけどやっぱエロ風味になりますね。性癖だからです。てへぺろ。
この後書きでお察しかもしれないんですが、実はこれ、対になるお話があるんですけど……。
……その内……書けると……いいな………(遠い目

取り敢えず、鉢尾の日おめでとうございます!

★対になる鉢屋目線のお話『堕とした末は、深き朱』書けましたヤッタネ!!

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