あわいろの花びらに想いを載せて //落乱-鉢尾小説 万年時計のまわる音

抜き足、差し足、忍び足。
雑に殺しても、今だったらきっと大丈夫。

推測は見事に当たり、俺は鉢屋三郎の背後を取ることに易易と成功した。薄い肩を撫でるようにして両手を乗せると、驚いたのか僅かに身体が跳ねた。
その反応に気をよくして繊細そうな彼の首筋に唇を寄せる。
一瞬だけ躊躇ったものの、欲求に負けてその色白の肌に吸い付くと、桜の花弁のような赤い跡が咲いた。

「ったいな、馬鹿」

軽く咎める言葉を聞きながら、腕を引かれて彼の膝上にごろりと転がった。下から見上げる小綺麗な借物の顔、その眉間には小さく皺が寄っている。

「いーじゃん、お得意のお家芸で隠せるんだし。そもそもすぐに消えるんだから問題ない(モーマンタイ)だろ」

悪びれることなくそう言うと、薄色の瞳が僅かに細められた。
呆れた様子に少しだけ不安を覚えじっと見返すと、逸らされない鼈甲の奥に微かに焔が灯ったのが分かり、俺の心臓がことりと音を立てる。

俺と鉢屋が一般的に恋人と呼ばれる間柄になったのは少しばかり前のことだ。

「俺、お前が好きなんだよね」
「じゃあ、付き合うか」

長年胸に秘めてきた望み無き恋にいい加減終止符を打たねば。
そう思い、何気なさを装って打ち明けた、自分の気持ちを切り替えるための玉砕前提の告白。
しかし鉢屋は何を思ったか俺以上に何気なく、まるで散歩にでもいくかの如き軽さで是と答えたのだった。

最初は俺の言い間違いか聞き違いのどっちだろうかとも考えたけれど、共に過ごす時間が少しずつ増え彼との距離が縮まっていく中で、誤りでも白昼夢でもないと実感を得られるようになっていった。

しかし、それでも鉢屋の雷蔵に向ける愛情は変わらない。
幾度俺と床を共にしても、鉢屋は委員会のない日は雷蔵の行く先どこへでも付いて行ったし、長期休暇の折には仲睦まじく出立し一緒に登校してきた。何がしかの用事で彼らが連れ立って出かけて行く所に出くわすと、鉢屋は素っ気ない挨拶のみでさっさと背を向けてしまい、それを何故か少し申し訳なさそうな顔をした雷蔵が追っていくのが常だった。

鉢屋の中の優先順位、その頂に君臨する雷蔵は、唯一であり絶対である。その地位は、何者にも冒せない。学園の誰もが知る事実だ。
もしそれに対して不満を訴えようものなら、単なる委員会の同級生である俺なんか簡単に切り捨てられてしまうだろう。

鉢屋がどういうつもりで是と答えたのか、どういう気持ちで俺を抱くのか。その答えを、俺は持っていない。
鉢屋に訊くつもりもない。俺が満足する答えが返ってくる訳がないことは明白で、それに俺が思わず反駁して、もう二度とこの立場を甘受できなくなるだろうことが、ありありと想像できるからだ。

それに、俺と鉢屋が関りを持てるのは今だけだ。
この先彼は間違いなく、雷蔵と同じ道を行く。そんな鉢屋が、道を分かつ忍と接触するという危険を冒してまで、俺とこれからもつながっていく理由などない。
この優しい箱庭の中でしか、否、このゆりかごの中だからこそ、俺と鉢屋の薄弱な繋がりは成立しているのだ。

元より散るだけだった思いを、鉢屋が気紛れに拾ってくれた。そのおかげで、身体だけなら誰よりも、雷蔵よりも近くに居られる。
その事実が俺に優越感を与え、また彼が俺に触れるただそれだけで俺は幸せな気持ちになれる。
この幸せを失うようなことは回避すべきで、失うことに比べたら、鉢屋の思惑も、俺の気持ちも、些細な問題に過ぎない。

しかし、人間とは欲深い生き物で、時を重ねるにつれて特別だったことにも慣れ当たり前になっていく。
もっと、もっとと、より良いものが欲しくなる。残念ながら俺も欲深い人間のひとりだ。

燻り膨らんでいくだけの欲求を持て余し、いつからか俺は夜の戯れの一環として鉢屋の肌に痕を残すことで溜飲を下げるようになった。
彼の心に、記憶に、自分自身という存在を一番深く刻み付けることができない代わりにでもするように。

変装名人にとって小さな鬱血痕を消すことなど朝飯前だ。
だから、ただひとひらだけ、手入れの行き届いた柔肌を傷つけぬよう位置を変えてさえいれば赦されるだろうと踏んで、痕を残すようになった。
己の独占欲を示すたったひとひら、数刻も経てば消えてしまう薄紅の花弁は、諦めにも似た俺の鉢屋に対する想いの昇華法なのだった。

じっと見つめていると、情欲の焔に炙られ色味を増していく鼈甲がゆっくりと近づいて来た。そっと目を閉じるとほぼ同時に温かく柔らかい感触が唇に触れる。
俺は手入れの行き届いた薄く滑らかな鉢屋の唇がとても好きだ。しかしそれを楽しむ間も無く乞うように柔らかく下唇を食まれた。
抗わず素直に唇を開くと、間髪入れずに彼の熱い舌が押し入って来た。口腔内を縦横無尽に這い回り、もはや知り尽くされた弱い所を繰り返しくすぐられる。

歓びで満たされ、全身を駆ける甘い痺れ、じんわりと広がる熱と欲望、そしてひとときの優越感に攫われるが如く。
後でどうしても拭えない失望感に苛まれることを知りながら、俺はいつものように彼に身を委ねた。

あわいろの花びらに
想いを載せて


[2017/01/09] pixiv初稿

正月だけは小説書いてる時間がある――。
といった感じで、8弾初演を前にルンルン気分で書いたSS、テーマは「諦めと執着」そして「鬱血痕」でした。
正月の蕩け気味の脳みそで仕上げたのでなんともポエミーでとぅるんとぅるんな話ですね。
でも結構気に入ってるんです。基本自己完結しちゃう、先に諦めが入っている可哀想な尾浜萌え…。

★鉢屋視点のお話はこちら

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