好天に恵まれたその日、生物委員会の委員長代理を務める五年ろ組の竹谷八左ヱ門は毒虫の採集に出ようとしていた。
齢十四の男が昆虫採集なんぞに勤しむのは、生物委員会の仕事が虫獣遁の術に用いる生き物を集め飼育することだからである。――八左ヱ門の場合、委員会の義務というより最早趣味に近いのだが。
外出届も提出し準備は万端、正門の前で必要な装備に不足がないかを確かめる。
「あれ、八左ヱ門! これから外出か?」
荷の確認が済んでいざ出立せんとしたまさにその時、背後から元気な声に名を呼ばれた。聞き慣れた低めの声音と親しげな話し方から、姿を見ずともそれが隣の組の級長を務める尾浜勘右衛門だと分かる。
「おう! いい天気だし、毒虫の採集にでも行こうと思ってさ。勘右、衛門……も……外出……か……??」
呼びかけに応じ、八左ヱ門は外出の目的を説明しつつ振り返った。しかし振り返った瞬間から言葉を紡ぐ速度は徐々に落ち、最終的に途切れ途切れといった状態に陥る。
振り返った先にいたのは確かに勘右衛門ではあったのだが、思いがけないいでたちに驚いたのだ。辛うじて予定していた言葉を言い切りはしたが半ば呆然とし、顔にも言葉にも露骨に困惑を表出させる。
「ああ。この間北の峠に甘味処できたじゃん? これから鉢屋と食べに行くんだ~」
しかし勘右衛門は、あからさまに態度を変化させていった八左ヱ門になど気づいていないかのように紡がれた問いかけに楽しげに答えた。意図的にスルーしたとしか思えず文句を言いたい気持ちになる。だがそれでは、楽しそうにこちらを見ている勘右衛門の思う壺であるようにも思えてくる。そこであえてそれには触れず、外出の目的にのみ着目してにやりと笑い返した。
「……なるほどデートか。そりゃよかったな~」
「やめろよその表現、こっぱずかしい!」
直球で弄ると、途端に勘右衛門が居心地悪そうに声を荒げた。デートと表現した程度で照れる彼を少々微笑ましく思いつつ、八左ヱ門はその相手である三郎に思いを馳せる。
先日驚くほどの恋愛初心者っぷりを披露していた三郎は、しかし八左ヱ門にはなんとなく遠い目をしていたように見えていた。纏う寂しそうな気配に少々心配してはいたのだが、どうやら上手くいったらしい。
「……で? なんで女装してんの?」
安堵しながら心の中だけで三郎に祝福を送ったところで、八左ヱ門はようやく先ほど勘右衛門がスルーした、己を驚かせた原因に言及した。現在、勘右衛門は何故か町娘に扮しているのである。
派手すぎないながらも華やかな着物、品良く控えめに施された化粧のお陰で男にはまったく見えない。さすがは い組の学級委員長と言ったところか、女装の腕はなかなかのものである。
だが男らしい低い声で普段と同じように喋るものだから、見た目との落差が甚だしく残念極まりない光景となっていた。
外出の目的は三郎とのデート、つまり完全なる私用である。女装の必要性はないはずだ。彼がそんな格好をしている理由がまったく理解できなかったため、率直に尋ねたのである。
「ん? かわいいだろ♡?」
「……じゃなくて」
勘右衛門が小首をかしげ口元に人差し指を添えたぶりっこポーズを取ったのは全力でスルーし、彼の回答になっていない返答を差し戻した。
半眼で睨めつけると、勘右衛門は悪戯っぽく笑った。それから雲一つ無い空を仰いで「だって」と言い訳めいた言葉を継いだ。
「鉢屋が町中とかでも、手繋いだり腕組んだりくっつきたがるからさあ」
「――くっつ、き……たが……る? あいつそんな性格だったっけ……?」
「どうだろな。俺、鉢屋といろいろ話すようになったの最近だもん」
惚気かな? とは一瞬思った。惚気に付き合ってやる気など一切ないのだが、勘右衛門が口にした三郎の行動が気になってしまいつい問い返していた。雷蔵に対してすらベタベタとはしていない三郎が、勘右衛門にベタベタしている状態などまったく想像ができない。
勘右衛門の返答は要領を得なかったが、言われてみれば確かに勘右衛門が三郎と親しげにしているところを見るようになったのはごく最近のことだったかもしれない。これ以上、三郎の性格のことを勘右衛門に訊いたところで仕方がない。やむなく八左ヱ門は話を本筋に戻すことにした。
「待てよ? そのためだけに、わざわざ女装してんの?」
「だってなんか注目集めちゃってる気がするんだよ。目立つの嫌だろ」
「だからって……お前、三郎のこと甘やかしすぎでは……?」
「そーかな? まぁでも、あいつ全然いうこと聞かねんだもん。しょーがないだろ」
腕を組みやや諦め気味に小さく溜息をついた勘右衛門に、八左ヱ門は本筋も惚気だったなと自分から尋ねておきながら半眼になった。
「待たせたな」
ちょうどその時、再び背後から声がかかった。高すぎず低すぎない落ち着いたその声音は、八左ヱ門の耳にもよく馴染んでいるものだ。
「お、甘えん坊主三郎のとー、……じょー…………?」
「なんだ藪から棒に、喧嘩売ってんのか? 生憎今は買ってる暇がないがな。で、八左ヱ門は虫取りか? あんま増やしすぎるなよ。また会計委員会委員長に怒られるぞ」
我らが学級委員長を弄ってやろうと茶化しつつ振り返ったところで、八左ヱ門は再び呆然とする羽目になった。尻切れトンボになり言葉を失った八左ヱ門に、三郎はしかし学級委員長らしく的確に釘を刺してくる。その上で勘右衛門に向き直って声をかけた。
あからさまに凍り付いて見せているにもかかわらず、またもや意図的なスルーという応対を受けた八左ヱ門は、不満を訴えるべく沈黙したまま半眼で三郎を凝視した。
「――、なんだ」
じと目で見ていると、ようやく八左ヱ門の方を見た三郎に、端的に視線の意味を問われる。手玉に取られるのは面白くないのだが、八左ヱ門はいい加減面倒臭くなってきた。
「……なんで三郎も女装?」
駆け引きも裏も何もなく、己の問いたいところに直接的に言及した。
八左ヱ門が言葉を失ったのは、遅れて現れた三郎もまた、女装をしていたからである。女装の授業などでも時々見る、雷蔵の顔をベースにした町娘風のいでたちだ。
雷蔵とは確かに瓜二つなのだが、二人の性格の違いだろうか雷蔵の可愛らしい女装とはやや雰囲気が異なり美女という表現が似つかわしい様相である。
「? 美人だろ?」
「じゃないだろッ! 激しくデジャヴ!! 分かってやってんだろ!? なんなのお前ら!?」
しれっと意見を求められ、本日二度目のやりとりに思わず憤慨した。傍らで見物していた勘右衛門は八左ヱ門の咆吼に腹を抱えて笑い出し、三郎は急に笑い出した彼に瞬いている。そんな三郎に、別に示し合わせていたわけではなかったらしいと知り、学級委員長という生き物は皆こんな感じなのだろうかとややげんなりした。
暫ししてようやく笑いが収まった勘右衛門はしかし、笑った理由を三郎に説明する気は毛頭ないらしい。こちらに視線を戻し、再び傍観者の雰囲気を醸し出し始めた。それを踏まえて三郎が、八左ヱ門に向き直り口を開く。
「だって勘右衛門が手繋いだりするの、目立つから嫌だっていうから……」
「……まぁ、そりゃそうだろ。いい歳した男二人が手を繋いで歩くとか」
「女だったら、手繋いでても違和感ないだろって」
「……えぇ…………?」
話の方向性が急におかしくなったため八左ヱ門は困惑した。人の多いところでは手を繋ぐのを諦めればいいだけだと思うのだが、彼の中では手を繋ぐことの方が優先度が高いらしい。
「可愛い町娘二人組だと、結構おまけとかしてくれるしお得だぞ! まさに一石二鳥♡」
「……いや、どっちか片方だけが女装すればいいのでは……」
どや顔で横入りしてきた傍観者に、八左ヱ門は冷静にごく当然な意見を申し上げた。恋人同士であるなら、手を繋いで歩いても別におかしいことはない。
尤もな指摘に、勘右衛門は頷きつつも困ったように笑う。
「最初そうしてたんだけど、じゃんけん弱い鉢屋が不公平だってゴネるからさあ。美女だし別にいいじゃんか、なぁ?」
「そりゃ私は美しく化けられるが? 勘右衛門にエスコートされるばかりではつまらん! 私だって彼氏側がやりたい!!」
同意を求めてくる勘右衛門を遮るように、三郎が不満げに声を張った。まるで駄々をこねる幼子のようで、八左ヱ門は物珍しい気持ちで拗ねた様子の三郎を眺めた。
八左ヱ門が会話に参加せずとも、当事者二人が代わる代わる話すため、早々に傍観者を決め込む。
「だからいっそ二人とも女装するか、ってなったってわけ。しかし、今日も別嬪さんだなあ、はち子ちゃんは♡」
「なんではち子……せめてさぶ子にしろよ。ていうか、いつになったら下の名前で呼んでくれんの」
「――あーいや……、それは、さぁ……」
説明を終え、本日の三郎の女装をまじまじと観察してその出来映えを笑顔で褒めた勘右衛門に対して、三郎は満更でもない様子で、しかしやや不満そうに唇を歪ませた。
確かに勘右衛門は、何故か三郎のことを『鉢屋』と名字で呼んでいる。他の同級生のことは下の名前で呼んでいるのにもかかわらずだ。
呼び方を指摘された勘右衛門が、なにやら気まずげに口ごもる。すると三郎は一気に距離を詰めて彼に詰め寄った。
「なぁ、勘右衛門。私の下の名前、分かるか?」
「えー……っと……、」
「分かるよな」
慌てふためいている勘右衛門の顔を見つめたまま、三郎は彼の腰に手をまわして抱き寄せた。その顔は完全なる真顔であり、恐らく八左ヱ門の存在など既に頭から消し飛んでいるだろう。
勘右衛門はといえば、全力で仰け反って三郎から顔を逸らそうとしながら、己を拘束せんとしている身体を押し返そうと躍起になっていた。
結果的に八左ヱ門は、惚気どころか痴話喧嘩、いや乳繰り合う現場を見せつけられる羽目になった。最早見物しているのも馬鹿らしくなり、今一度身につけた荷を確認し直した上で身を翻す。
「その~……あ! 八左ヱ門! ちょ、待って! 助けて!!」
背後から名指しでの救助要請が入ったが、八左ヱ門はそれを黙殺して足を動かす。
ふと、正門の前に生物委員会の後輩であり学園一の生き物好きがいるのが目に入った。引き続き叫ばれ続けている救援の求めを振り切るように駆け寄り、かの後輩に声をかける。
「孫兵! 外出か?」
「あれ、竹谷先輩。ええ。いい天気ですし、新たな出会いがあるかもと思いまして。……もしや、竹谷先輩もですか?」
「ああ、せっかくだから一緒に行かないか?」
装備を見ての孫兵の問いに、八左ヱ門は笑顔で同行を提案した。しかし孫兵は、少し眉をひそめ困ったような顔をした。
「いいですけど……、めちゃくちゃ呼ばれてません? 放っといていいんですか? あれ」
孫兵が八左ヱ門の背後を心配そうに眺めながら尋ねてくる。勘右衛門が未だ名前を連呼している辺り、三郎は今なお自分の名前を言わせようと奮闘しているようだった。
恋人同士のやりとりに巻き込まれるほど、面倒かつ損しかないだろうことはないのではなかろうか。そんな目に遭うのは御免被りたい。
「ほっとけほっとけ、関わったら馬に蹴られるぞ」
「……はあ、」
八左ヱ門は彼らのことなど心配要らないのだということを雑に説明し、それでもまだ気になってしまうらしい優しい後輩の背を押して正門へと追い立てる。ぎゃいぎゃいと騒がしい方向を一応横目でチラリと窺えば、問題の二人はもうお互いのことしか見ていなかった。
「ほら勘右衛門、リピートアフターミー」
「いやちょっとなに言ってんのかわかんねっすわ」
三郎は未だ真顔で勘右衛門に詰め寄っていて、最早必死らしい。さっさと呼んでしまえば良いのにと思ったが、頑なに名前を呼ばない勘右衛門の耳が赤くなっているのが遠目にも分かる。
何故名前を呼ぶ程度ののことにそれほど照れるのか分からないが、まったくとんだ災難だった。
八左ヱ門は後輩の背中を押しつつ正門をくぐりながら、迷惑で愛しい大事な友人たちへ向けて、心の中だけで叫んだ。
「末永く爆発しろ!」
〈おしまい〉
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<あとがき>※再録本より抜粋・編集
オフ本初(!)の全年齢本でした。笑
同人経験がほぼない中、蛇足本も文庫サイズにしたくて悪戦苦闘したのが記憶に残ってます。半ば徹夜になりつつどうにか刷って行き、当日現地で製本してるような有様でした(笑)
いつも通りながら(笑)スケジュールがヤバかったのですが、その原因の一つが忍ミュでした。
10弾に残留しなかった双忍が早速学園祭で帰って来てくれる!?しかも日替わりゲスト枠でなくメインキャストで!?狂わされた身としては大歓喜ですよね。なのにその大千秋楽である大阪公演がなんと即売会とモロかぶりで…(苦笑)
どっちも諦められなかったのでお昼で撤収して新幹線に飛び乗り、夜の大千穐楽公演でペンラを振り回し、とんぼ返りして翌日出勤…なんて頭のおかしいスケジュールを組みました。他にも同じように梯子した方が多く、昼過ぎの会場の閑散っぷりがすごかったとか。
そのスケジュールのせいもあって、当時のあとがきの疾走感すごかったです(笑)いや~狂いってすごいですよね、もうできませんこんな計画…。
以下、当時のあとがきからの抜粋を掲載しておきます。
◆不安定な鉢屋くんとイケメン可愛い尾浜くんで微妙な関係を崩すか否か、気持ちを認めるか否かなど葛藤が書きたいと思い始めた話なのですが…相変わらずどこに着地しているのやら(笑)当社比甘々。一応言っておきますがこれは鉢尾です。
◆個人的に鉢屋の方が実はもろそうだなって思ってます。そんな彼を精神的にタフな尾浜が受け容れてる構図に萌えます。何度でも言いますがこれは鉢尾です。
◇このお話の尾浜は本質がドライです。去る者は追わない。けど人に頼られるのが好きなので、鉢屋にもコロッと墜ちました。彼が二人を見分けられるのは観察眼に優れているからです。見分けている時点で鉢屋だと認識できているので「雷蔵の顔だから」は完全に言いわけです。つまり最初からほだされまくってました。ちょろ可愛い。
◇このお話の鉢屋は甘えたがりですが格好付けしいでもあります。ベタベタするのは苦手なので、好きにさせてくれる尾浜の甘やかし方が大変居心地がよかったらしいです。
こんなところまで読んでいただきありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけていたら幸いです。