弐、きつねとたぬきとおだんごと - 室町狐狸合戦! //落乱-鉢尾小説 

木々のざわめきと、鳥の鳴き声くらいしかしない、穏やかな休日の午前。
文机に向かっていた勘右衛門は筆を休めて、窓から見えるすっきりと晴れ渡った空を恨めしげに見上げた。

弐、きつねとたぬきとお団子と

「こら、サボるな」

横から筆でポカリと頭を叩かれた勘右衛門は、叩かれたところを両手で押さえ加害者をじろっと睨んだ。

「――休みの日に学級委員長委員会の仕事とか、ホントないわー」
「お前も委員だろうが。始めてからまだ一刻も経ってないぞ。文句言ってないで筆動かせ」

目線を書類に落としたままの鉢屋の横顔を見て、勘右衛門は小さくむくれた後、小さくため息をついた。

珍しく鉢屋が今日暇か?なんて訊いて来ると思ったら、なんのことはない、委員会の仕事だった。
ちょっとでも期待したおれがバカだった、と勘右衛門は内心で本日幾度目かの自己嫌悪に陥る。

身代わりとはいえ鉢屋の「恋人」と言える関係になった勘右衛門だったが、委員会以外で鉢屋が勘右衛門を誘って外出などありえないことだった。
欲求不満を解消するためだけの関係なのだ、少なくとも鉢屋にとっては。
不毛な思いだと分かってはいたが、雷蔵と比べてあまりにも遠い鉢屋との距離が少しは縮まるだろうと思い仕掛けた勘右衛門だったのだが、その予測は大いに外れた。肉体関係を結ぼうとも、片方の意識が変わらない限り「委員会の同級生」から何も変わらないのである。

休日である今日、わざわざ鉢屋が勘右衛門を捕まえて仕事に勤しむのは、雷蔵が委員会で不在の間に仕事を片付けてしまおうという魂胆だ。鉢屋は何も言わなかったが勘右衛門には御見通しだ。
来週雷蔵は実習組で学園を離れる。現在処理している書類の締め切りはちょうど雷蔵の出立日だ。これが今日中に片付けば今夜から雷蔵の出立の日まで気兼ねなく一緒に居られる、というわけだ。

――分かってるさ。鉢屋の頭は雷蔵で一杯で、友達に毛が生えたくらいのおれが入る余地なんて無いことくらい。

勘右衛門は筆を動かしながら内心で独りごちた。
分かってはいるけれど、面白くないものは面白くないのだ。鉢屋と共に過ごせるのはいいとしても彼の都合で休日をふいにされているのだから、文句を垂れる権利くらいはあるだろう。勘右衛門は気だるげに机に身をもたせかけ、内心の不満を友達の立場なら言っても良いであろう文句に変えて鉢屋にぶつける。

「だってさー、こーんなに気持ちよく晴れたお出かけ日和に、なにが悲しくて仕事しなきゃいけないんだよ。ありえなーい!」
「文句言ってても構わないが、筆は動かせよ」

配慮して控えめにした文句にもまともに取り合ってくれない鉢屋に、さすがの勘右衛門もムッとした。そこでふといいことを思いつき、提案を持ちかけた。

「じゃーさ、これ終わったら一緒にお団子食べに行こうよ。一年生のしんベヱが言ってたんだけど、最近町に美味しいお団子屋さんができたんだって。もちろん鉢屋の奢りで!」
「はぁ?何で私が…」

突拍子もない話にさすがの鉢屋もこちらに視線を移した。ようやくこちらを向かせることに成功した勘右衛門は内心でほくそ笑む。

「よりによって今日なのって、雷蔵との時間確保したいからでしょ?奢ってくれるなら協力してあげないこともないよ?ま、おれは別に来週やっても構わないけど~」

半眼で言ってやる図星だったのだろう鉢屋はぐっと言葉に詰まった。にっこり笑顔で圧力をかけると、こちらを睨みつけていた鉢屋を仕方なさそうにため息を付いた。

「…分かったよ。奢ってやるから二皿。だから今日中に終わらせるぞ」

頼みごとをすることに若干の照れを含んだ鉢屋の是との答えに、勘右衛門は笑顔で書類に取りかかる。

「わーい!鉢屋の奢りで初デートの約束ゲットだぜ♪よっし、頑張るぞー!」
「デ!?…何言ってんだ、アホか!」

面食らった顔の鉢屋に勘右衛門は書類に目を通しつつしれっと答える。

「間違ってないでしょー、おれたちが二人でお・出・か・けするんだから~」
「ば…っ、秘密だって約束だろう!誰かにバレたりしたらどうするんだ!!」

たいそう慌てた様子の鉢屋に、勘右衛門は思わず吹き出しそうになった。そして真面目に勘右衛門を睨んでくる鉢屋の顔をまじまじと見た。

「――何言ってんの鉢屋、友達同士でも冗談でデートとか嘯いて遊びに行ったりするじゃん」

おれもよく兵助と行ってたよ、と付け足した勘右衛門の言葉に鉢屋はアホみたいな顔で動きを止めた。そんな鉢屋を無視して再び筆を走らせながら勘右衛門は軽い調子で口を開く。

「まぁ最近はデートしてないけどね、軽々しく兵助付合わせらんないしぃー。たまにはお出かけしたいワ、アタシだってェー」

急に沈黙が降り、スベったらしいと若干頬を染めた勘右衛門が横目で伺う。
鉢屋は勘右衛門の顔をじっと見つめていた。何事かと思ったが目線が合わないので、どうやらぼんやり突っ立っているだけのようだ。何が何だか分からないがスベった訳ではなさそうだと踏んだ勘右衛門はふーっと息を吐き出して気持ちを立て直した。

「ていっ」 「だっ!」

とりあえず隙ありとばかりに鉢屋の頭を筆で軽く殴ってやる。

「さっきのお返しー。早く片づけたいんでしょ、筆止まってるよ鉢屋」
「…あ、ああ」

勘右衛門に殴られても文句も言わず、鉢屋は殴られた頭をなでながら文机に向かった。

***

陽が天頂から降り始めた頃、ようやく仕事が片づいた。あと一刻もすれば辺りは橙色に染まりはじめるだろう。

まだ時間的に余裕があるので今日、約束通り団子屋へ出掛けることになった。
鉢屋が書類を提出に行っている間に勘右衛門が委員会室を片付ける。
と、ふいに戸を叩く音が耳に届き振り返った勘右衛門の視線の先に、委員会で買い出しに行っていた雷蔵が佇んでいた。

「あ、雷蔵。おかえりー」
「ただいま。2人が仕事してるって聴いたからお土産差し入れにきたんだ。はい、お団子。きり丸が『しんベヱのイチ押し!』って言うから寄ったんだけどね、すっごく美味しかったから。じゃ、僕は部屋に戻るよ。仕事頑張って!」

雷蔵は笑顔でお団子の包みを勘右衛門に手渡して去って行った。

――…あー、やっぱり、ね。

包みを確認して、勘右衛門は瞑目した。知らず、小さなため息が出る。
雷蔵のお土産である団子は、正に鉢屋とこれから行くはずだったお店のものだった。
間が悪いというか、運が悪いというか。勘右衛門は鉢屋の雷蔵への気持ちを利用してばかりいるから天罰が下っているのかもしれないなんてことを自嘲気味に、神様なんて信じてもいない癖に考えていた。

「勘右衛門、済んだぞ」

優秀な忍者らしく足音もさせず鉢屋が戻ってきた。タシン、と戸を開く音と鉢屋の声とを背中で聴いた勘右衛門は、いつもの笑顔で振り返った。

「おかえりー、ご苦労さま。今ね、雷蔵が帰ってきて、これお土産だって!なんとおれが言ってたお店のお団子だよ~。お団子の方からこっちに来てくれるなんて、ミラクルタイミングだよね!」

「…はぁ」

鉢屋は状況が呑み込めないらしく、気の抜けた相槌を打って勘右衛門を眺めている。

「と、言うわけで、雷蔵のお土産は鉢屋の分までおれが貰うってことでいいよねっ!片付けはあとちょっとだからおれやっとくし。お疲れー!…あ、雷蔵は部屋戻るって言ってたよー」

一口にペラペラっと喋り切って、勘右衛門は鉢屋に背を向ける。
おれってホント優しいなぁ、なんて内心で自画自賛という形の自嘲をしつつ鉢屋に対して片づけをしている体裁を繕う。

本当は片付けもほぼ終わっていた。悪くすると決裂すらあり得るこの関係を維持するにはもっとしっかりしないといけない、なのに今回の団子を奢らせる程度のお出かけで有頂天になり、出かける理由を失ってそれがおじゃんになっただけで落胆してしまった自分を叱咤しなければならない。こんなことでは折角の「毛が生えた関係」もあっという間に消えてしまうだろうから。

「失礼します、鉢屋先輩いますか?」

声と共に戸を静かに叩く音がして、委員会の後輩である庄左ヱ門がひょっこりと顔を出した。

「お、庄左ヱ門。どうした?」
「学園長先生から書類を預かってきました」

庄左ヱ門が差し出した紙束を見て、鉢屋は隠しもせず嫌そうな顔をする。

「さっき一仕事終えたばかりだってのにまた仕事か?人使い荒いなぁ…」

文句を言いつつそれを受け取った鉢屋は、すぐに書類に目を通し始めた。
そのまま廊下に待機している庄左ヱ門を、勘右衛門は手招きして室内へ入れ座布団へ座らせた。

「尾浜先輩、お二人とも今までお仕事されていたんですか?」
「そうだよー、庄左ヱ門は?」
「友人と町へ下りていました。…でも、声をかけてくださればお手伝いしましたのに。僕も学級委員長委員会の委員だし、――彦四郎も言えば絶対来ます。どうして言ってくれなかったんですか?」

いつも年の割に冷静な庄左ヱ門には珍しく、すねているような雰囲気で文句を言う。なんだかんだ言いつつも鉢屋を尊敬している庄左ヱ門は、声をかけてもらえなかったことに対して不満があるのだろう。彦四郎も今日二人が仕事をしていたのを知ったら同じ反応をするだろうことは容易に想像できた。
鉢屋はいいなぁ、こんなにしっかり慕われててズルい。勘右衛門は少々しょげ気味の庄左ヱ門を微笑ましく見つめながら、後輩に厚く信頼を寄せられている鉢屋に少しだけ嫉妬した。

「あーでも、今日の書類は庄左ヱ門たちにはまだちょっと難しいものだから、おれたちがやらなきゃいけなかったし。…庄左ヱ門も彦四郎も言ったら手伝いに来てくれるのは分かってたから言わなかったんだ。気にしなくていいんだよ、ありがとね」

本当は一年生でも分かる書類もあったけれど、さすがの鉢屋も休日でなくともできる仕事に一年生は巻き込まなかったようだ。もっとも、後輩をものすごく可愛がっている鉢屋がそんな暴挙をする訳がないのだが。
しょげている庄左ヱ門を慰めようと、実感を込めて言葉を紡ぎながら頭を撫でると顔を伏せられてしまい、自分は後輩との付き合い方が下手なようだと少し落ち込む。

「…あ、なんだ。もう済んでる件の報告か」

数枚ペラペラとめくっていた鉢屋が独りごちた。すぐに筆を出して自分の署名をすると、庄左ヱ門へと差し出した。

「悪いが、これ学園長に渡しておいてくれるか」
「あ、はい。いいですよ」

書類提出を快諾した庄左ヱ門に、鉢屋がもう一つ何かを差し出す。
それを見た勘右衛門は目を剥いた。

「ちょっと鉢屋!それおれのもが」
「ありがとな、ご褒美にこの団子をやろう」

鉢屋が差し出したのは雷蔵のお土産のお団子の包みだった。文句を言おうとした勘右衛門は素早く鉢屋に拘束され、口を塞がれた。勘右衛門は抗議の言葉を喚きながら鉢屋の腕から逃れようとじたばたする。

「…あの、僕…そんなに大したこと、してませんけど…」
「いいから持ってけ」

庄左ヱ門は戸惑った顔で勘右衛門に視線を向けた。勘右衛門にそんなつもりはなかったのだが、事実庄左ヱ門を板挟みにしてしまっていた。これでは庄左ヱ門が可哀想である。大体にして鉢屋の行動に文句があっただけで、団子にそれほど執着があった訳でもない。
勘右衛門が庄左ヱ門に向かってにこっと笑って頷くと、庄左ヱ門はホッとした顔で団子の包みをそっと受け取った。

「…それじゃあ、頂きます。ごちそうさまです」

庄左ヱ門は笑顔で会釈して包みと書類を手に部屋を後にした。

「…なんのつもりだよ鉢屋。あれおれのお団子だし。しかも雷蔵のお土産だよ?」

「…うるさい、ば勘右衛門。さっさと支度しろ」

勘右衛門は鉢屋の拘束から力づくで抜け出してから恨みがましく文句を言うと、またもや拳固をお見舞いされた。殴られたのも理不尽だが、聞き捨てならない言葉に勘右衛門は反射的に噛みついた。

「ちょ、失礼な呼び方すんな!何だよばかんえもん、って……………?支度?…って何の支度?」

頭をさすりながらきょとんとした顔をした勘右衛門に鉢屋が背を向ける。

「出かける支度に決まってるだろ!団子食いに行くんだろうが。早くしないと店が閉まってしまうじゃないか」

状況が呑み込めない表情で、勘右衛門は鉢屋を見つめる。勘右衛門を振り返らない鉢屋の耳は、じんわりと赤みを帯びていた。
現実味を感じなくてぼんやりと鉢屋を見つめていた勘右衛門は、焦れたのかドスドスと音を立てて歩み寄ってきた鉢屋に再び殴られた。

「…約束したろ。後で兵助辺りに言いつけられても困るしな!――…久しぶりの外出なんだろ?外出届はもうあるし…ほら、行くぞ」

そんなことを言いながら、鉢屋はへたり込んでいる勘右衛門に手を差し伸べる。

“軽々しく兵助付合わせらんないしぃー” “たまにはお出かけしたい”

鉢屋は勘右衛門の話を、ちゃんと聞いていたのだ。
差し出された手をとりながら、勘右衛門はなかなか顔を上げることが出来なかった。照れ屋な鉢屋も背を向けたまま勘右衛門を振り返られずにいたので、無理をする必要もなくて。勘右衛門はちょっとだけ、小さく泣いた。

―――これだから、鉢屋を好きなのを辞められないんだ。

勘右衛門は自分からあふれ出そうになる思いを感じていた。

たとえ鉢屋が雷蔵を好きでも。身代わりの恋人にしか、なれなくても。

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