参、笑顔の仮面 - 室町狐狸合戦! //落乱-鉢尾小説 

参、笑顔の仮面

陽が落ちて辺りは薄闇に包まれた。世界は、もう間もなく眠りへと堕ちてゆくだろう。
今宵は新月。
微かな星明りだけが空に瞬く闇夜は、忍者の縄張りだ。

本日の五年生の授業は裏々々山にて学年合同で行われる実戦形式の実習だ。
二人一組で持ち札を取り合ってその数を競うものである。定められた規則を侵した者や、終了時刻までにスタート地点へ戻れなかった組は失格・補習決定だ。

五年い組の学級委員長である尾浜勘右衛門の今回の授業の相棒は、五年ろ組の学級委員長である鉢屋三郎であった。いつもならば鉢屋は雷蔵と組んだだろうが、その雷蔵は昨日から体調を崩して寝込んでいた。
鉢屋はいつでもどこでも雷蔵にベッタリなので、勘右衛門が授業中に鉢屋と二人でいられることなど殆どない。それ故勘右衛門は、苦しい思いをしている雷蔵には申し訳ないがこの状況を少しばかり嬉しく思っていた。しかし。

「勘右衛門、なにやってる。遅いぞ。早くしろ」

辺りをうかがっていた勘右衛門に、上の方からややつっけんどんな矢羽が飛んできた。見上げた先に居る矢羽の主は、太めの枝の上に陣取って辺りを見渡すばかりでこちらを一瞥もしない。そんな鉢屋に勘右衛門は不満げに眉を寄せる。
実習が始まって暫く経ったが、鉢屋は終始苛々していた。原因は十中八九雷蔵だろう。

昨日から寝込んでいた雷蔵は、実習が始まる直前になって高熱を出した。恐らく今も新野先生が看病しているのだろうが――雷蔵がちょっとでも怪我をすると即保健室へ連れ去る鉢屋だ、心配で居ても立ってもいられず、早く傍らに戻りたい焦燥感から苛立っているに違いない。
そんな風に鉢屋のことを冷静に分析して、勘右衛門はため息をついた。

雷蔵は勘右衛門にとっても大事な友人だ。当然、心配ではある。
だが実習には集中して取り組まなければならない。同級生たちは皆、勘右衛門たちと仲の良い八左ヱ門や兵助だって、本気で取り組んでいるはずなのだ。

最も、武術の腕前は六年生と並び立つほどと名高い鉢屋がミスする、なんていうことはありえないかもしれないけれど。

不満は膨らむが今は実習中だ。鉢屋と一緒であることに変わりはないとポジティブに切り替えて、勘右衛門は鉢屋と合流しようと彼の居る木の上へと移動することにした。が、勘右衛門が追いつくのを待たずに、鉢屋は樹上の移動を始めた。
二人組で動かねばならない実習であるにも拘わらず、完全に単独行動を取っているようにしか見えない。だが、現時点で札をより多く集めているのは鉢屋であり、実習においていつも彼より成績の劣る勘右衛門が文句を言うのは少々憚られた。
勘右衛門は先刻まで鉢屋がいた枝に到達すると、動きを止めた。

遠ざかっていく鉢屋の背中を、勘右衛門は追いかけもせずただ見つめていた。
気持ちが、ほんの少しだけ、沈む。
勘右衛門は顔を伏せた。

今の鉢屋の脳内には、自分はこれっぽっちも存在していない。
昨晩も抱き合った仲だけれど――。

雷蔵にまつわることばかりが、鉢屋の言動を支配している。雷蔵と離れ勘右衛門と行動を共にしている今でさえ、雷蔵が心配のあまりの苛立ちに翻弄されている有様で。勘右衛門と関係を結んだのも、遡ればやはり雷蔵の存在がある。
――当然だ、鉢屋は昔からずっと、雷蔵が大好きなんだから。分かってるさ。

分かってる、けど―――…

何度も言い聞かせるように繰り返す「分かっている」の言葉、その後ろにまとわりつく二つの文字。

淀んだ思考に沈んでいた勘右衛門は、ふいに背後に嫌な視線を感じて素早く身を翻した。数メートル離れたの樹の枝に、別の組の者であろう生徒が二人、顔になんとなく癇に障る笑みを浮かべて腰かけている。実習中である現在、同級生は敵である。だがそれ以上に直感的に嫌悪を感じ、勘右衛門は彼らを睨みつけた。

「おい見ろよ、尾浜が1人だぜ」
「本当だ。ラッキーだな、絶好のチャンスじゃん」

二人組は何やら意味ありげに発言した。その不躾な言い方に少々苛立ちながらも、勘右衛門は努めて冷静に尋ねた。

「―…何がラッキーなんだよ?」

その問いかけには露骨な棘があったが、二人組が嫌な笑いを収める気配はない。それどころか、より一層あからさまににやにやといやらしく笑った。

「鉢屋は武術に優れてるからアイツから札を奪うのは至難の業だけどさぁ…尾浜からだったら取れんじゃねえ?」
「お前ら見てると、なーんかムカつくんだよなぁ。級長だからっていつも目立っててさ。おおっぴらに尾浜をいたぶれて、札を奪って俺らが有利になって、鉢屋の妨害にもなる。一石三鳥ってな!」

「――なんだと?!」

さすがの勘右衛門も余りにも失礼な発言に感情を抑えきれず、若干声音が荒くなる。だが、二人組が臆した様子は微塵もない。

「癪だけど、確かに尾浜も優秀は優秀だ。けど、実技は結構普通だもんなぁ?」
「実技の時は目立たないしな。二人でかかれば――余裕だろ」

言うが早いか二人組が勘右衛門めがけて飛びかかってくる。
勘右衛門は素早く臨戦態勢を取った。飛んでくる手裏剣の軌道を読んで避け、刃を苦無で退けながら間合いを取る。昨晩鉢屋が好き放題したため体は鉛のようだったが、実習用手裏剣の軌道が読めれば避けるのは容易い。最も、堂々と勘右衛門を侮った発言をした時点で力量が勘右衛門の方が上であることは明白だったが。敵を侮ることが忍の三病の一つであることは常識である。

再び飛んできたそれを、勘右衛門は軌道を目算して避けた――が、それは彼の読みをそれて脇腹に食い込んだ。

「――ッ、い………っ」

みしり、と嫌な音がした気がする。
想像以上に重い衝撃に勘右衛門は身を折り膝をつく。

かなり、痛い。

想定外に負傷した部分を手で探ると、手の平に鉛玉のような重くて丸いものがごろりと転がった。通りで軌道を読み違えたわけだ――実習では使用を禁止されている武器である。
体の重さを理由に楽をしていたのが裏目に出てしまった。

身を折った勘右衛門に二人が肉薄する。勘右衛門は慌てず集中力を高めてその痛みを掻き消し、素早く体勢を整えた。
飛んでくる拳を頭上へ跳躍して交わし、そこへ飛び込んできた一人の鳩尾に蹴りを入れて吹っ飛ばした。吹っ飛んだ生徒は見事に木の幹に命中し、受け身も取れず根元に崩れ落ちる。
そのままの流れで、足技でもう一人を地面にねじ伏せた。

再び静けさを取り戻した闇夜に、ざぁ、と涼やかな風が吹いた。
勘右衛門の癖のある長い髪が踊る。

足蹴にした生徒を見下して、勘右衛門は嗤った。

「――反則しても勝てないんだ。余裕、ねえ…笑っちゃうよ」

足蹴にされた生徒は、見上げた笑み戦慄した。
そして、理解した。
勘右衛門に実力がないのではない。比べる対象――周りにいるのが、八左ヱ門など実戦において優秀過ぎる者ばかりであるだけなのだ、と。
そんな猛者たちともそれなりに渡りあえるほどには、彼もまた優秀であるということを。 だが彼はその真実を垣間見てすぐ、勘右衛門によって意識を絶たれた。

勘右衛門は気絶させた生徒を、もう一人と共に木の根元へ寄りかからせた。悪意を持って襲ってきたとはいえ今は実習中であり、彼らは勘右衛門の同級生である。彼らをそのまま放っておくような真似はしない。
それぞれの懐から素早く札を抜き取ると、勘右衛門は鉢屋の消えた方角へ駆けだした。

しかし幾ばくかも行かぬ内に、先ほど負傷した箇所に痛みを覚え始めた。集中力で掻き消していた痛みが戻ってきてしまったのだ。鈍器系の武器だったため打ち身にはなっているかもしれないが出血はしていないようだ。動くほどに重い痛みが体内に響く。

「いたた…、ちょっと肋骨に、かかってるかな…。折れてないといいんだけど…」

痛みを誤魔化すように独り言をつぶやきながら、勘右衛門は駆ける。
二人一組の実習中、一人は狙われやすい。早く鉢屋に合流しないと――

「――勘右衛門!」

丁度その時声が上から降ってきた。足を止め顔を上げると鉢屋が丁度勘右衛門のすぐ上の枝に飛び移ってきたところだった。負傷のこともあり、勘右衛門は鉢屋の姿を見てほっとした。

はちや、あのさ、

勘右衛門はこれまでの経過を鉢屋に伝えようと口を開こうとした。

「どこいってたんだ?勝手に動くなよ」

勘右衛門が言葉を発するより先に、一言目になじられて勘右衛門は憤慨した。

――勝手に動くなだって!?勝手にいなくなったのはそっちじゃないか!!

怒りに任せてそう怒鳴りつけてやろうと大きく息を吸い込む。と同時に、脇腹に激痛が走った。痛みの余り、一瞬呼吸さえ止まる。
痛みはすぐに弱まったものの、勘右衛門の身の内に留まってしまった怒りが後から噴出してきた別の感情と混ざり合い、勘右衛門の意欲をそぎ落としていった。もはや事情を訴える気すら失せた。

「――あー、ごめんごめん。でも、札取ってきたからさ、許してよ」
「…ったく」

ヘラヘラとした口調で、勘右衛門は懐から札を取り出して振った。だが鉢屋はその二枚の札を一瞥し、一言文句だけ垂れただけだった。
そんな鉢屋の態度もまた、勘右衛門の心を侵食していく。感情が入り乱れてぐちゃぐちゃになり、勘右衛門の心の奥底に凝っていく。

「もうすぐ終了時刻だ。ハチたちにだけは出くわさないように気を付けないとな…移動するぞ。上がってこい」

もう策略に思考を切り替えたらしい鉢屋は、言うが早いか枝から枝へと渡り始めた。勘右衛門の異変にも、怪我にすら、気付かない。 そんな鉢屋に対して、勘右衛門は負傷していることを微塵にも感じさせない素早い動きで木に登り、素早く枝から枝へ、鉢屋に並ぶ速度で駆けだした。 無理をするほどに脇腹が悲鳴を上げる。脳はその痛みを正確に認識していた。 だが、折れた心がその感覚を麻痺させていた。

――鉢屋に遅れを取るものか。気付かせるものか。

もはや、意地だった。

ようやく迎えた終了時刻、スタート地点に生徒たちが集まった。刻限までに忍務を遂行するのもまた忍に必要な技量だ。時刻までに自力で戻ってきた生徒たちのみを対象に成績発表が行われた。
最優秀は僅差で八左ヱ門たちに勝った尾浜・鉢屋組だった。
同級生たちから拍手が送られるが、鉢屋はむっつりとした顔のままだ。そういう態度が敵を作るのだ。フォローにもならないかもしれないが、勘右衛門は痛みをこらえて拍手に笑顔で応える。

「では、本日はこれまで。私たちは戻っていない者を回収してくるから、お前たちは先に帰っていなさい」

木下先生がそう宣言しほかの先生方と一緒に森の中へ散っていった。
直後、鉢屋はただ一人ものすごい速度で学園へ駈けて行った。勘右衛門は予想通りの行動にでた鉢屋を、ただ見送る。

「ほぁー、鉢屋の奴マジで早ぇな。さすが雷蔵マニア」

八左ヱ門が感心したように鉢屋の後姿を眺めながら勘右衛門の方へ歩み寄ってくる。
呑気な様子の八左ヱ門の後ろから、彼とは正反対にすごい勢いで兵助が勘右衛門に飛びついた。

「勘ちゃんっ、どこか痛いのか?!」

兵助の剣幕に驚いた八左ヱ門が何事かと彼を伺うが、兵助はまっすぐに勘右衛門だけを見ており全く気付かない。その表情は真剣そのものだ。
勘右衛門もまた兵助の勢いに目を丸くしていると、兵助は勘右衛門の前髪を乱暴に掻き上げた。そうされて初めて、勘右衛門は自分がすごい量の汗をかいていることに気が付いた。

「すごい脂汗だよ!どうしたんだ、どこか怪我したのか?!」

兵助が抱き着くように勘右衛門の体をぺたぺたと触る。さすがに五年も同室をやっている兵助の手に遠慮や躊躇はない。手際よく触診を進めていく兵助の手は、勘右衛門がわたわたしているうちに負傷箇所へ至った。触れられた際の痛みの大きさに、堪えきれなかった小さな悲鳴が勘右衛門の口から漏れた。

しまった、と思った時にはもう遅かった。
微かな悲鳴を聞きとがめた兵助が、すぐに勘右衛門の上衣をはだけてしまう。

八左ヱ門が小さく驚きの声を漏らし視線を逸らした…顔が赤い。
小さな灯のかすかな光でも、やはり分かってしまったらしい。
兵助は勘右衛門の肌に残る情事の痕に一瞬戸惑った様子を見せたが、すぐさま持ち直すと怪我の様子を丁寧に診た。それからすぐに勘右衛門を抱え上げると一目散に駆けだした。八左ヱ門が慌てて後に続く。

意地でかなり無理をしていた勘右衛門にはもう、誤魔化したり強がったりする余裕はなかった。自分を抱える兵助の顔をぼんやりと見上げる。兵助は眉間にしわを寄せていて、美麗に整った顔が台無しになっていた。――かなり怒っているみたいだ、と働かない頭で勘右衛門は考える。
夜抱き合う相手が出来た、という報告をしなかったから怒っているのだろうか。それとも自分が無理をしていたから?――…きっと後者だと思う。兵助は優しいから――…。
ぼやけていく思考回路に一瞬遠ざかる背中がよぎり、そのまま勘右衛門は現実よりも優しい闇へと墜ちていった。

***

重い瞼を押し上げると、見慣れぬ天井が目に映った。

――…? ここ、どこだろ。おれ、なにしてたっけ…。

勘右衛門がぼんやりと天井を見上げていると、視界を肌色の塊が遮った。
人の顔だ。
焦点が合う――見慣れた、整った顔――兵助だ。彼は心配そうに横たわった勘右衛門を覗きこんでいた。

「よかった、気が付いたんだ。…脇腹の怪我だけどね、多分肋骨にヒビが入ってるって」

兵助のその言葉で、勘右衛門はそれまでのことを思い出した。怪我のこと、実習のこと、そして――鉢屋のこと。

「えー、うそ。ヒビ?まじかよー。じゃーおれ、しばらくどーなんの?安静?」
「新野先生は、日常生活は大丈夫だけど1、2か月は過激な運動とか実戦みたいなのは控えろっておっしゃってたよ」

いつもの調子で尋ねると、兵助はいつものようにさらっと欲しい情報を言う。打てば響く、本当にいい相棒である。周囲を伺うと兵助以外誰も居ないらしい。静かな早朝の保健室だ。怪我も大したことはないし、大事になったりもしていないらしい。勘右衛門はほっと息をついた。

「あ、ホント?なんだーよかった。でも実技の授業と来週の忍務には出れないってことかぁ。うーん、残念だなぁ」

「――ねぇ勘ちゃん。俺に言う事、あるよね?」

身を起こしながらお茶らけた態度をとった勘右衛門に、兵助は真剣な面持ちで問うてきた。それが質問という形の確認であること、それが何を指しているのかまで、勘右衛門には分かっていた。
だが、兵助がどういった返答を求めているのかを分かった上で、視線を逸らして沈黙する。兵助の質問への解答として、進んで言いたいことなど何一つない。

「――どうして無理してたの。なんで鉢屋に怪我したって言わなかったの。…新野先生がおっしゃってた。無理してなければ、ヒビを疑うほど悪化はしてなかったかもって」

いつもなら沈黙から意図を汲んでそれ以上聞かずにいてくれる兵助だったが、今日は違った。目線を合わせようとしない勘右衛門に言い募る。その言い方はいつもどおりに冷静だが、兵助らしからぬ力がこもっていた。ちらりと兵助を伺うと、彼は眉尻をつりあげてまっすぐに勘右衛門を見つめていた。
真剣で射抜くような視線からそれ以上目を逸らすことなど、勘右衛門にはできなかった。兵助は勘右衛門の目をじっと見つめたまま、淡々と口を開いた。

「勘ちゃんが三郎に怪我のことを言わずに無理してたのと、勘ちゃんの体にある痕。…関係があるよね?」

だんまりを続けていても、兵助にはすべてお見通しだった。
勘右衛門は生来頑固な性質で、情けない言動や弱った姿を徹底的に隠したがる。が、五年同じ室で暮らしてきた兵助にはいつも敵わないのだ。今の状態では尚更嘘はすべて見抜かれてしまうだろう。勘右衛門は諦めたようにため息をついた。

「――…うん、そうだよ」

勘右衛門は観念して兵助の推測を認めた。そして、ぽつりぽつりと鉢屋との契約のこと、これまでの経緯、実習中のことをすべて包み隠さず話した。

「――三郎…許さん。俺の勘ちゃんになんてことを…!……あの世に送ってくれる…」

勘右衛門の話を最後まで静かに聴いていた兵助は、勘右衛門が全て話し終えると憤怒に満ちた恐ろしい形相で低い唸り声をあげた。目がマジである。おまけに懐に手入れの行き届いた苦無が鈍く光るのが見えた。すぐにでも鉢屋を八つ裂きにしに行きかねない様子に勘右衛門は慌てた。

「へ、兵助!契約を言いだしたのはおれで、鉢屋は悪くないんだよ!落ち着いて…」
「だから何?言いだしたのが勘ちゃんでも、それに乗った三郎も同じ。その上至極近くに居ながら友人の変調にも全然気付かずおまけにさっさと一人で帰った三郎が悪いに決まってる」

勘右衛門のフォローも、兵助はあっさりとかつ長文で一蹴する。

「おれも意地になっちゃって全力で隠してたし。ハチにも見抜けなかったくらいなんだ仕方ないだろ?別に、想い合ってる間柄、じゃ…ないし」

自分で自分の言葉に傷ついた勘右衛門だったが、それも正確にキャッチしたらしい兵助が未だかつてないほどの憤怒から閻魔の如き形相に変貌し、余りの迫力に勘右衛門ですら微かに身震いした。

「だからって好き勝手していいわけないだろ。むしろ契約なんだったら対等で然るべきだ。三郎は仮にも抱き合う相手を思いやれない最低野郎だということだな。大体勘ちゃんをなんだと思ってるんだ!?気持ちよければいいなんてこと、勘ちゃんがすると思ってるのか。本当に五年間一緒に過ごしてきたのか?全然分かってないなあの短小早漏変態野郎は」

鉢屋の批判内容はより長くより辛辣になり、下品な単語が出てきている――閻魔様は完全にブチ切れていた。

「鉢屋に気持ちがバレないようにしつつ、契約に持ち込むにはそういう設定しか思いつかなかったんだ。おれがそう振舞ってたんだからそう思われてもしょうがないんだよ」

勘右衛門は兵助を何とかなだめようと必死になっていた。兵助の怒りがなかなか治まらない事に困りながらも、自分を大事に思ってくれている証である彼の怒りに、勘右衛門は若干の喜びを感じていた。

「―――でも…そうだね。おれ――もうやめようと思う。鉢屋と寝るの」

なだめる合間に、勘右衛門はぽつりとつぶやいた。
その小さなつぶやきに、八つ裂きにせんと息巻いていた兵助の動きがピタリと止まる。

「たとえ体だけだとしても、もっと近くに居られたら幸せだって思ってたんだ。実際、そうなった時は本当に幸せで、死んじゃってもいいかも、って思ったし。――でもこの頃はそうなる前よりもっと、ずっと…辛いんだ――…」

俯いた勘右衛門の顔を兵助が覗き込んでくる。先刻と打って変わって眉尻が下がった悲しげな表情だ。そんな相棒に勘右衛門は笑顔を作った。

「偽物でも恋人のほうがただの友人よりも近づけるって思ってたんだ…ばかだよね。体だけくっついても心は全然近くならないんだ。むしろ遠くなったような気すらするよ…。だから、もう終わり。もう、…限界なんだ」

そう言ってきれいな笑顔を浮かべる勘右衛門を、兵助は強く抱きしめた。
いつも明るく元気な勘右衛門のこういうきれいな笑顔の裏にある表情を、五年を共に過ごした相棒は知っていた。

相棒の優しい愛情に、勘右衛門はそっと目を閉じた。

その眦から、意地っ張りな勘右衛門の素直な心がひとつぶ、ぽろりと零れ落ちた。

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