トイペ1.5 、不気味な後輩 - 不運のススメ //落乱-伏さこ小説 

……………………あぁ、うざったい。

トイペ1.5、不気味な後輩

太陽が輝き、小鳥のさえずりが聞こえ出した清々しい早朝。
井戸から汲みだした水で顔を丁寧に洗い、水気を手ぬぐいで拭う。
顔を上げてすっきり爽快になったはずの左近の眉間にはしわが刻まれている。
最近、保健委員会唯一の二年生・川西左近には不愉快なことがある。

「あー左近先輩じゃないですかぁ、おはようございます~」

嫌というほど聴きなれた間延びした話し方で挨拶をされ、左近は思わずゲッと声を漏らした。
振り返ると、見たくもない悩みの原因が真顔で突っ立っていた。
朝の日の光を浴びてもなお暗く青白い顔にのんびりとした話し方、基本の表情が残念そうに眉尻を下げた真顔。
保健委員会の一年生・鶴町伏木蔵の出現に、左近は苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「どうかしたんですかぁ、眉間にしわ寄ってますよ~?まるで僕と会うのが嫌みたいな顔になっちゃってますぅ」

左近が露骨に顔をしかめたのを見咎めた伏木蔵が妙な言い回しで尋ね、ついでに背伸びをして遠慮なく人差し指で左近の眉間をぐりぐりと押し広げる。
暫くの間、左近は目を伏せて甘んじてその行為を受けつつぷるぷると肩を震わせて耐えていた。だが、いつまでもぐりぐりをやめない伏木蔵に左近はついに爆発した。勢いよく伏木蔵の手を払いのける。

「正真正銘嫌なんだよっ!なんっでこんな爽やかな朝っぱらから、お前のじめーっと暗ーい顔を拝まなきゃなんないんだよ!大体先輩に対して何遠慮なくかましてんだ!」

言ってしまってから左近ははっとした。
じめーっと暗ーい、は少し言いすぎだったかもしれない。言い方や言う事がキツい、左近の悪い癖である。
手を払われ怒鳴られた伏木蔵はというと眉を寄せて悲しげな表情をしていた。ただし悲しげな雰囲気は一切うかがえない。何故なら、その口角が微妙に引き上げられているからである。

「えぇー、ひどいですぅ。僕は朝から先輩に会えてとっても嬉しいのに~」

しかも口調はいたって普通、というか若干お茶らけている。怒鳴られたのにも悪口にもこたえた様子は微塵もない。眉を寄せてはいるが意図的であるのが分かるくらいわざとらしかった。何と言っても口元が微妙に笑っている。
いつも通り何を言ってもこいつには一向に効果が無い。しかもすごく腹立たしい反応をしやがる。
ケロリとしている伏木蔵に若干ホッとしつつも苛々した左近は、チッと舌打ちすると何も答えずに踵を返した。面倒な相手には関わらないに限る、伏木蔵とは反対方向へ立ち去ることにしたのだ。しかし伏木蔵が後から駆けてきて早足で歩く左近の斜め後ろにぴったりと付いてくる。

「せんぱぁい、どこ行くんですか~?二年長屋は反対方向ですし、食堂もこっちじゃないですよぉ」
「うるさいな、どこに行こうと僕の勝手だろ!付いてくるなようっとおしい!お前顔洗いに来たんだろうが、早く洗いに行けよ!」
「それなんですけどぉ、先輩の手ぬぐい貸してください~、忘れてきちゃいましたぁ」

苛々に任せて怒鳴りつけたが、それにも全くめげない伏木蔵ののほほ~んとした発言に、またもや何ともいえない怒りに身を震わせた左近であった。

――そう、最近何故かこの一年生が左近にやたら絡んでくるのである。
これまで互いに敬遠していたので全く縁がなかったのだが。

「………はぁ。仕方がないから貸してやる。洗って、返せよ…」
「はい~、ありがとうございます~」

脱力し大きくため息をつきながら手ぬぐいを渡すと、伏木蔵は素直にそれを受け取った。

いつも見下してくる二年生を一年生たちが目の敵にしているのは知っていたので、伏木蔵が自分を遠巻きにしていたのは別に気にしていなかった。大体興味がなかった。アホなことばかりやっていてからかうのが面白いのはアホのはの連中だった。伏木蔵はアホのはではなく、ろ組の生徒なのである。
一年ろ組の生徒たちは、担任教師の影響もあってか暗くて不気味な奴ばかりだと聞いていた。それで最初から必要以上に関わらないようにしていたのだ。しかもこの伏木蔵というやつは大概眉尻を下げた真顔で表情が読めず、何を考えているのか全く分からない。オマケにすりるぅ~などと意味不明なことを言って不運を喜んでいる節があり、それが理解できず不気味に感じてより一層敬遠していた。

それが、今はこのざまである。
きっかけとして心当たりがあるとすれば、先輩二人が風邪に倒れピンチヒッターとして左近が保健室当番にかり出された時のこと。その時当番だったのがたまたま伏木蔵で、あの日を境に伏木蔵が妙に絡んでくるようになった気はしていた。しかし、左近にはその理由が釈然としないのだった。
必要以上に関わる気のなかった左近は、仕事の指示だけ与えて自分の仕事に集中した。あとは嫌味をいくつか言ったくらい。左近のしたことといえばそれだけだったからだ。

意地っ張りな性格である左近は素直に表には出さないが、委員長の善法寺伊作と三年の三反田数馬を彼なりに尊敬していた。 『不運委員会』になってしまったばかりの頃は不満ながらに仕事をこなしていたが、あの時の左近とはもう違うのだ。口先では不運だのなんだのと文句を言っているが、保健委員会で習得する事柄の意義も保健委員としての精神もちゃんと理解していた。その上で先輩たちに少しでも近づくために、日々真面目に仕事に取り組んでいるのである。 だからその日も、左近自身の考えで手で包帯を巻いてみることにしただけだった。包帯巻き器が無かったのもあったが、それ以上に委員長である伊作の手際の良さに憧れていたからだった。しかし包帯は思ったよりも柔らかくて巻きづらく、きれいに巻き取るのに苦心した。一心不乱に巻いて巻いて巻き続け、ちょっといびつな包帯の山をこしらえた。そうやって最後の一つを巻ききり、なかなかの出来栄えだと掌に載せたそれを眺めた直後、その包帯はひょいっと左近の視界から奪い取られた。 驚いて目で追うと、いつの間に傍に来ていたのか伏木蔵がそれをしげしげと眺めていた。言葉の出ない左近に、伏木蔵が一言こぼした。

『先輩、器用ですねぇ。すごい綺麗ですぅ』

耳慣れない言葉に左近は面食らった。
まさか二年生を敵対視している一年生が、そんな好意的なことを言うとは思っていなかったのだ。
努力を隠そうとしてしまう性質であることもあって賛辞を貰うことなど滅多になく、真正面からストレートに褒められるなんて尚更だった。
伏木蔵のぽつりと落としたその言葉が頭の中を何度も行ったり来たりしてようやく理解できたとき、左近の体を喜びとも羞恥ともつかない強い感情が走り抜けたのである。その感情に混乱しつつ、顔が熱くなるのを感じた。

――あの日以来、だと思う。伏木蔵はやたら左近にくっついてくるようになったのは。しかも若干うざい。
左近は特にこれといってあの日伏木蔵に何かをした覚えはない。こうやって回想していても、互いに避けていたはずの伏木蔵が突然左近の手から包帯を奪うなんて暴挙をした理由も、邪険にされても挫けることなくこうも付きまとってくるのか全然分からない。
左近は自分のことを、意地っ張りな上にキツい口調であるためあまり人好きされない性質だと分析している。だから、怒鳴って突き放してもくっついてくるなんて奴は初めてで、正直戸惑っていた。

伏木蔵が顔を洗うのを眺めながら、左近は回想を交えていくら考えても謎な彼の変化の理由を再び思案していた。

「――なあ、お前さ」
「ふぁい?なんですかぁ?」

左近の手ぬぐいで顔を拭っている伏木蔵に、左近は唐突に声をかけた。

「この間から何なわけ?僕の周りちょろちょろしてさ」
「ええー…?なんなわけ、と言われても…」

単刀直入に訊いてみると、伏木蔵は困惑気味な顔をした。問うている意味が分からない、と言いたげな伏木蔵に左近は言葉を続ける。

「今まで避けてたのに、何で最近妙に絡んでくるんだよ。うざったいんだけど」
「うざったいってなんですかぁ?かわいい後輩にひどいですー」
「かわいい?気味が悪いの間違いだろ?」

それひどくないですかあ、と不満げに頬を膨らました伏木蔵を左近は鼻で笑う。
だが伏木蔵はそれ以上反論せず、手ぬぐいを畳みながら、うーん、そうですねー、などと思案顔だ。

「まあ、強いて言えば…“先輩研究”、ですかねぇ?」
「“先輩研究”?」

今度は左近が首を傾げる番だった。先輩研究?
授業の課題か何かだろうか。一年生の時、そんな課題あっただろうか?例えそうだとしても、何故二年生である左近なのだ。普通に考えれば伊作に行くのが当然だろう――。

「この間、僕、気付いちゃったんですよねぇ。二年生の先輩たちって、案外面白いんじゃないかなあって」
「――はあ?」

更に意味不明である。授業の課題ではないようだし多分、いや絶対に左近をおちょくっている。 付き合ってられんとばかりに伏木蔵の手から自分の手ぬぐいをひったくろうとした左近は、伏木蔵がそれをしっかりつかんでいたため失敗した。
一枚の手ぬぐいを介した距離から、いつもの何を考えているのか分からない真顔で正面からじっと見つめられて、左近はたじろぐ。

「この間、当番一緒だったじゃないですかぁ。あの時、左近先輩が実は優しいってことは分かりました」
「…はぁ?!」

聴きなれない自分に対する評価に、左近は思わず聞き返した。
優しい?なんだ、それは。先輩たちならまだしも、なんでキツい性格の僕に――ありえない。
聴き間違いか、あるいは伏木蔵の言い間違いだろう。大体あの日の左近の行動のどこから優しいなどという感想が出るのか。

「あ、優しい以上に、面白いなぁって思いました。それで今、左近先輩を絶賛観察中なんですぅ」

結論を決めつけた左近の思考を読んだように、伏木蔵はもう一度その形容詞を口にした。
伏木蔵の方に視線を移すと、彼はあの日と同じようなにやにや笑顔だった。
左近は羞恥と怒りに顔に血が上るのを感じ、伏木蔵と自分を繋いでいる手ぬぐいを乱暴にひったくった。

「ばっ…ふざけんな!!観察?!なんだそれ!馬鹿にしてんのか!!僕は虫か何かか!?大体僕のどこが面白いって言うんだ!!いい加減にしろ!!この馬鹿!!!」

思い切り早口でまくし立てて、左近は逃げるように立ち去る。
頭はまだ混乱していたが、馬鹿にされているようだということだけは分かった。勝負なんてしていないのだが、なんとなく連敗した気分である。どうにも左近は伏木蔵が苦手らしい。

くそッ、とか、一年の癖にッ、とか、憤怒を漏らす度に手ぬぐいを振り回しつつ足早に長屋へと戻る彼の耳が真っ赤であったことは、まだ顔を覗かせたばかりの太陽しか知らないことだった。

「……手ぬぐい…、洗わなくてよかったのかなあ」

一方、一人残された伏木蔵は左近の去って行った方向を見つめて呆然とつぶやいた。

「――うふふふ。虫か何かか!?だってぇ。そんなこと思ってないし、馬鹿にしてもないのに。そういう所が面白いんだって、分かってないよねぇ」

その場に立ち尽くしていた伏木蔵は思わず声を立てて笑い、つぶやいた。

「まぁ、そんな風に時々トンチンカンなとこも面白いんだけどぉ。…はぁー、えきさいてぃんぐぅ~」

満足そうにため息をついた伏木蔵は空腹を覚え、左近の消えた方向――長屋に向かって歩き出した。
爽やかな朝の空気の中を、鼻歌を歌いながら進む。

楽しい一日は、まだ始まったばかりだ。

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