トイペ2、似合わない - 不運のススメ //落乱-伏さこ小説 

雪もまだ消えぬ初春の頃。

優しく頼れる松葉の背中が消えた保健室は、不運こそ減ったけれどなんとなく暗くて寂しかった。 あのひとが居た時にはあり得なかったようなたまの幸運に、喜ぶどころか寂しさが募りさえした。 僕たちはそれぞれそれに気づかないふりをして、けれど共有して大切にしていた。 みんなの胸にあいたその穴は、あのひとが確かにここにいた証でもあるから。

いつまでも喪失感を拭えないままに、忍術学園の面々は皆もどかしいほどゆっくりと流れてゆく時に耐えた。そんな風にさみしい季節を越えやがて新緑の季節になると、今の僕よりも一回り小柄な忍たまたちが加わって、寂しかった学園も保健室もにぎやかさを取り戻した。

学園内を元気に駆け回る彼らの浅葱の制服を見やる。
ほんの少し前まで僕たちが着ていたものだ。一方の僕たちはと言えば、今までよりも少し深い色の制服を身にまとっている。
僕にとってはここしばらく観察対象にしていた人の服を今自分が着ている状態なわけで、なんとなく違和感がある。

そしてもちろん観察対象――もとい左近先輩も今はこの紺青を脱ぎ、萌黄色の制服をまとっている。
先輩の春色のいでたちに自分の制服以上の違和感を感じて、先輩にはあんな明るい色よりも静かな深い青が似合うな、と僕は思った。

トイペ2、似合わない

よく晴れた気持ちのいい放課後。
今日は自分の当番の日ではないけれど、伏木蔵は保健室に居座っていた。
目的は言わずと知れた人間観察――という名の先輩いじり。最近の伏木蔵お気に入りの自由時間の過ごし方である。

「じゃあ左近、悪いけど後お願い!」
「任せてください。委員長会議、頑張ってきてくださいね!」

まだ見慣れぬ紫色の制服が慌ただしく保健室を後にする。
左近先輩は頼もしい返事でその背を見送ると、すぐに文机に乗った書類束とにらめっこを始めた。そのピンと伸びた萌黄色の背中を、仰向けに寝転んだだらしない格好のまま見上げた伏木蔵は心の中でちぇっ、とつぶやいてそっぽを向いた。

学年が上がって、伊作先輩がいなくなって。
元々上級生の人数に乏しかった不運委員会の現在の最上級生は数馬先輩になっていた。
しかしその数馬先輩もまだ四年生で、委員長代理を務めるには少しばかり早すぎる。そこで保健委員会ではそんな数馬を助け委員会運営を支えるために、左近先輩も忙しそうに働くようになった。二人で手分けして仕事をするとはいえやはり大変なのか、左近先輩は去年より保健室にいる時間がぐっと増えた。しかし大抵忙しそうにしていて、伏木蔵にはほとんど構ってくれない。

「ねー、左近せんぱーい」

背中に向かって名前を呼んでも、先輩は返事もせず書類とのにらめっこを続けている。
無視。最近多い左近先輩の僕への対応パターンである。

――数馬先輩にはすぐに返事をするくせに。
…まあ、僕のは取り留めもない話で、数馬先輩のは委員会の仕事の話だから比べられるものでもないのだけど――。

忙しいのだから仕方ないのだと分かってはいるのだが、なんとなく面白くない。
ごろりと寝返りを打ちうつ伏せになった伏木蔵はぷらぷらと足を揺らしながら、先輩が筆を動かすたびに小さく揺れる髷をじっと見つめた。
先輩の性格を反映したような、まっすぐな黒髪――。

――ちょっと触ってみたい、かも。

飽くことなく揺れる髪を眺めていた伏木蔵は、ささやかな好奇心からふと良いイタズラを思いついた。馬の尾のようなそれに狙いを定め、ほふく前進の要領でじりじりとにじり寄る。背後で遂行される伏木蔵の企みに、資料と真剣勝負中の先輩が気付くわけもない。変わらず黙々と筆を動かし続けている。
これ幸いと前進を続けてようやく十分届く距離まで近づいた伏木蔵は、にゃーん!と鳴きまねをしながら先輩の髷にじゃれついた。
僕の突然の行動に驚いたのか、一瞬だけ先輩の肩がびくっとしたのが見えたけれど無視してじゃれる。思いの外さらさらとした髪が僕の肌の上を滑った。
初めて触れる左近先輩の髪はやや硬めだがつやつやとしていて、指通りががすこぶる良い。先輩はうるさげに頭を左右に振るけれど、ねこじゃらしにじゃれつく子ねこのごとくしつこく追いかけた。
最初は嫌がらせの気持ちからだったが、途中からは想像以上ににすてきなその手触りに夢中になっていた。
僕が暫しの間夢中になって戯れてようやく、先輩は口を開いたのだった。

「伏木蔵、うざったい。邪魔しないでくれ」

たった一言、しかも目線は資料に落としたままで。
そのぞんざいな扱いがまた面白くなくて、辞めるどころか余計に激しくじゃれついてやった。
手つきがちょっと乱暴になってしまったらしく先輩の髷が若干乱れてしまったけれど――…気にしてなんかやらない。

「~~~うるさいっ!仕事してんだろ!見えないか?!忙しいんだ!いい加減にしろ!!」

エスカレートした妨害工作に先輩の堪忍袋の緒がついに切れたらしい。
イライラした口調で怒鳴り、乱れた髷を手で抑えてこちらを振り返って僕を睨みつけてくる。

――やっとこっち見た。

いたずらの目的をついに達成した僕は、怒られているというのに嬉しくなって笑う。
だがどうもそれが左近先輩を逆なでしたようだ。切れ長の目がつり上がり、眉間にしわがよる。あーあ、先輩ってばそれなりにきれいな顔してるのに。台無しだ。

「何にやにやしてるんだ、本ッ当に気味悪いなお前!」
「もー先輩、かわいい後輩になんてこと言うんですか~」

すぐさま茶化してみたが、先輩は平静にもどり書類に向き直りトントンと整えだした。口の悪い左近先輩によく使っていた茶化し方なので、さすがに慣れてしまったのかも。

「どこがかわいいい後輩だよ。お前には気味悪いがぴったりだろ、どう見ても。あと言うとしたらうざったい・めんど臭い・やかましい――あ。あと、暗い」

手を動かしながらすまし顔でスラスラとひどい形容詞を羅列させる先輩に、さすがの僕もちょっとカチンときた。
後半は多分今さっきの出来事のことから言っているのだろうし、そうなった原因の半分くらいは左近先輩が僕を無視するからじゃない。しかも最後の暗い、は言いがかりだ。うるさがる程に絡んでくるやつが暗い性格なワケないじゃないか。顔にタテ線は入ってるけどさ。

「いやー…それはちょっと、言い過ぎじゃないかな?」

僕が抗議するべく口を開こうとした丁度その時、数刻前に保健室を飛び出して行った数馬先輩が戻ってきた。
保健室に入ってきた先輩の腕には薬草取りに行くときに使うような籠がある。

「あれ?数馬先輩それどうしたんです?委員長会議に出ていたんじゃ…」

左近先輩が不思議そうに尋ねると、数馬先輩はああ、これ?と籠を床に置いた。籠の中にたっぷりと薬草が入っているのが見える。

「さっき新野先生に来客があったらしくて、たくさん採れたからって分けてくださったそうなんだ。よく使う傷薬の薬草だから本当にありがたいよね。それで、左近。書類は片付いたかい?」

数馬先輩が左近先輩の方へ寄っていって文机の書類を覗き込む。すると二人はすぐにその内容について話を始めた。交わす言葉に難しい単語が出てくる面白くなさそうな話だし、何より今の僕には何のことやらさっぱり分からない。だから邪魔をしないようにその会話が終わるのを待つことにした。
手持無沙汰だったので自分の髪をいじってみる。触り慣れた自分の髪はそれなりに手入れもしているのでまぁまぁの手触りだ。毛先を弄びながらなんとはなしに先ほど触った左近先輩の髪を思い出す。僕の若干柔らかめの髪とは違い、硬くてつやつや、さらさらと気持ちのいい左近先輩の髪――。

「――ということで、以上の報告内容でいいかと」
「…そうだね、それでよさそうだ。完璧。ありがとう左近」

会話が終わる気配を察して顔を上げた僕は、数馬先輩のお礼を受けて左近先輩が照れたように小さく微笑を浮かべたのを目撃した。意地っ張りで素直に笑うことの少ない左近先輩のはにかんだ微笑。どちらかといえば冷たげな印象の左近先輩の表情がふんわりと和らぐ。

僕はその様を珍しく思ってじっと見つめ、同時に違和感を覚えた。
…なんだろう?胸のあたりがモヤモヤしてなんだかスッキリしない。
僕がその原因不明のモヤモヤと闘っている間に、唐突に数馬先輩があれ、と声をあげた。

「左近の髪…なんかぐちゃぐちゃになってるぞ?」
「ああ、さっき伏木蔵にやられて―――…って、あの…数馬先輩?」

左近先輩が自分の名前を口にするのを聴きかつ戸惑っているのを感じて、僕は心中における戦いから意識を現実に戻した。見ると、数馬先輩が左近先輩の髷を解いて髪を手櫛で梳いていた。左近先輩の黒い髪が数馬先輩の手の中でさらさらと流れ、整えられていく。

「もう部屋に戻るだけだろ?応急処置的に直してあげる。――伏木蔵は退屈なのかもしれないけど、仕事してるのに迷惑かけたらダメだよ。…それから左近、さっきのはちょっと言い過ぎ」
「はぁい、すみません」
「…そうですね、言いすぎでした。―――伏木蔵、悪かった」
「いいえ~、僕こそお仕事のお邪魔をしてすみませんでしたぁ」

数馬先輩にたしなめられた左近先輩が素直に謝ってくれる。僕も素直に謝ったが、その時僕はさっき先輩の微笑を見た時よりも強い違和感を感じていた。
――…いや、違和感じゃない。
暫くじっと考えて、僕は自分がイライラしているのだということに気が付いた。
先輩の笑顔にも今のやり取りにも苛立つところなんてない。のに。…なんでだろう?

考えながらも僕の目は数馬先輩に梳かれる左近先輩の髪に吸い寄せられていた。
きれいな髪。つい夢中で戯れしまうくらいに、きれいな。いたずらする前だってだってずっと見ていても飽きる気はしなかった。…だけど今は、見ているだけでイライラが募る。
黒々とした髪の間を数馬先輩の白い指が通り、コントラストが美しい――けど。
…――?けど、ってなんだろう…?

「左近の髪はまっすぐでさらさらしてていいなぁ、羨ましい」
「…そんなこと、ないですよ」

左近先輩の髪を整える数馬先輩が僕はくせっ毛だから、とため息をつく。左近先輩は謙遜しつつ照れたように顔を伏せた。

――左近先輩って本当に照れ屋で意地っ張りだよね。
その様子を見て左近先輩の性格を分析をしながら、僕は次第に強くなっていく苛立ちの理由を見つけられずにいた。その原因不明のイライラに僕の心は埋め尽くされていて、それを抑えるのが精一杯だった。
こんなにイライラするのは本当に久しぶりで、伏木蔵は自分の感情の強さに戸惑う。
今日の僕は、左近先輩を観察するほどに自分が分からなくなるようだ。

…――僕は、人間を観察して分析するのが趣味であり特技でもある、鶴町伏木蔵だ。
それが自分の感情に気付かなかったなんて、分析できないなんて、訳も分からない苛立ちに心を塗りつぶされてるなんて――とんだお笑い草じゃないか!

こんなの、僕らしくない。
僕じゃない。
似合わない。

…――そうだよ、似合わないのがいけないんだ。

ゆかり色の数馬先輩、萌黄色の左近先輩、紺青色の僕――…。
この苛立ちはきっと似合わない制服のせいなんだ。そうに違いない。
去年培ったいつもの感覚を狂わされて、戸惑っちゃってるんだ。絶対そうだ。

だって、本当に全然似合わないんだもの!

みんなの制服の色も、僕の制服の色も、――今の僕の心の色も。

気が付くと委員会活動の終了時刻が近づいていて、先輩たちはすでに片づけを始めていた。伏木蔵も考えるのを中断し、慌てて片付けの手伝いに加わる。

そうして、伏木蔵はその時の自分の感情になんとか決着をつけることに成功した。

ちょっとだけ、ずるをしたような、
何かを誤魔化してしまったような、
そんな後ろめたい気がするのは――…

……多分、気のせい。

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